『夏の講演会』 のご報告

 

関西東大会夏の講演会が、下記の通りに開催されましたので、報告致します。

 


日 時; 2016年8月28日(日)
場 所; ホテルグランヴィア大阪 20階 「鶴寿(かくじゅ)の間」
受 付; 14:30〜
講演会 ; 15:00 〜 16:30
懇親会 ; 17:00 〜 19:00

 

【講演会】


講 師;株式会社福壽堂秀信
代表取締役社長 岡本 敏嗣 氏
演 題; 「大阪ミナミと和菓子」

 

 

 


平成28 年8 月28 日福壽堂秀信の岡本敏嗣社長より和菓子の歴史と大阪ミナミの文化についてご講演頂きました。概要以下のとおりです。

 

安原 徹(昭58 法)

 

 

1.和菓子の歴史

 


(1)上古時代


上古時代には、栗や楊梅(やまもも)など自然に生育していたものを菓子と呼んで食べていた。また、焼米、糒(ほしいい)のような保存食も果子と呼んだ。カシは大和言葉でそれに漢字を当てたもの。野生の木の実等を菓子、ヒトの手が入ったものが果子とされていた。
菓子の始祖として、田道間守命(たじまもり)の伝説が伝えられる。田道間守命は、垂仁天皇の命により、不老不死の常世(とこよ)の国を訪ね、10 年かけて非時香過菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰ったが、既に天皇は崩御していたため悲嘆して陵の前で殉死したとされる。この「ときじくのかぐのこのみ」がなまって橘(たちばな)になった。橘の実が現代のミカンである。和歌山県海南市の橘本神社は、田道間守命が伝えた橘が植えられた地であるとされ、菓子の神様として信仰を集めている。

 

(2)飛鳥〜平安時代


この時代には、唐から遣唐使によって菓子とその製法が伝えられた。これが唐菓子と呼ばれた。画期的だったのは油で揚げた菓子であったこと。神様に供える神饌としても用いられた。この時代の揚げ菓子の形を伝える餢飳(ぶと)や団喜(だんき)は、現在でも京都の亀屋清水で売られている。

 

(3)鎌倉〜室町時代


この時代に中国から点心が伝えられた。点心には、饅頭、羊羹、麵、餅などがあった。
このうち、饅頭を最初に考案したのは諸葛孔明とされる。昔、諸葛孔明が敵を討つのに、大河を渡ろうとしたが、河が氾濫して渡れない。49 名の人間を生贄にしたら収まると言われたが、人間が犠牲になるのを嘆いて、人の頭に似せたまんじゅうを作り、これを
身代わりに河へ投げ、見事に渡河したのがまんじゅうの起こりとされている。このような故事によるので始めは蛮頭と書かれたが、後に饅頭となった。
日本では鎌倉時代の1241 年、宋から帰国した聖一国師が博多の茶店に饅頭の製法を教えたといわれている。これが後にとらやの酒饅頭につながったとされる(虎屋には聖一国師が書いた「御饅頭所」の看板が残されている)。
また、1349 年、宋で修業した禅師の帰国に随従して来日した中国人の林淨因が奈良で饅頭を作って売り出した。ふくらし粉を使った饅頭で薬饅頭とよばれ、これが現在も続く塩瀬総本家のもととなった。奈良にはこの淨因を祀った林神社も建てられた。
次に、羊羹について。羊羹は、もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)であった。これは羊の肉を煮たスープの類で、冷めることで自然に煮凝りの状態となる。禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。初期の羊羹は、小豆を小麦粉または葛粉と混ぜて作る蒸し羊羹であった。その後、16 世紀後半になって鶴屋岡本善右衛門によって煉羊羹がつくられたと言われている。煉羊羹は寒天に餡を加え型で固めたものである。一方、水羊羹は、職人が鍋にへばりついた羊羹をこそげ落とし、賄いのように食べていたものである。水分が多く含まれるので保存が難しかったが、後に、日持ちするよう缶詰にしたのが新宿の中村屋で、昭和9 年のことであった。
なお、京都で鶴屋の屋号で饅頭処を開いていた岡本善右衛門が紀州徳川家の徳川頼宣に随伴して和歌山に移り同地に店舗を開いたのが、駿河屋の元祖である。


(4)安土桃山時代〜江戸時代初期

 

 その後、ポルトガル人やスペイン人により南蛮菓子が渡来する。カステラ、金平糖、鶏卵素麺など現在でも食べられている菓子の原型となった。


(5)江戸期以降


茶道とともに発展した趣味的な観賞目的の菓子は、さらに工夫を重ね、上菓子と呼ばれるものになった。上菓子とは「献上する」という意味である。つまり、この時代に和菓子のイノベーションが起こり、暮らしの中で庶民が楽しむ餅などとは別に、色・形にこだわり茶室で用いられる上菓子が分化した。この頃、京都の菓子屋は、上菓子屋と饅頭屋と餅屋の3つに分かれていた。上菓子屋仲間には、五亀二鶴といって本家筋である5 つの亀屋と2 つの鶴屋があり、「亀」「鶴」の名がつく多くの店が五亀二鶴からのれん分けしたものと言われている。
また、この時代砂糖の使用が広まった。そもそも日本での甘みの原点は干し柿だった。
また、アマヅラ(甘葛)と呼ばれる甘味もつくられた。これは冬季に蔦の樹液から採った甘味である。枕草子には「あてなるもの。削り氷に甘葛入れて新しきかなまりに入れたる」(枕草子第39 段、岩波では第42 段)といった記述がある。つまり清少納言はともに貴重品である削り氷に甘葛をかけて現代のかき氷のようにして食べていたことがわかる。その後室町時代以降砂糖の輸入が広がり、17 世紀の初めには日本でも製糖が行われるようになった。こうして砂糖や高級品である和三盆糖が広まっていった。

 

 


2.300 年以上続いている和菓子屋のいろいろ

 

 

 

 

 

3.歳時と和菓子

 


四季折々の行事である「歳時」は昔から和菓子と深く結びついていた。


・水無月
6 月30 日に食べる「水無月」は三角の白ういろうに小豆を乗せた菓子。赤い小豆には魔除け・厄除けの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれる。


・土用餅
土用とは、本来、立春、立夏、立秋、立冬の前18 日間を指し、年4 回あるものだったが、現在では夏の土用をさすことが多い。この土用に食べるあんころ餅の一種。


・月見団子
陰暦8 月15 日と9 月13 日の明月に供える団子(現在の暦だと9 月が十五夜、10 月が十三夜)。日本人は十五夜だけでなく少し欠けた十三夜を愛でる文化を持ってきた。

 


4.福壽堂の和菓子作り


(イ)漉し餡
・十勝産の小豆を使う。
・餡を冷水にさらしてアクを抜くのがポイント。
・あまり漉しすぎないことが大切。


(ロ)粒餡
・丹波産の大納言を使用。
・蜜漬けの工程で均等に蜜がつくようにするのがポイント。


(ハ)薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)
・薯蕷饅頭は菓子屋の実力のバロメータと言われる。
・製造工程は、^鬚垢蝓併外鬚糧蕕鬚爐すりおろす)、漉し、混合(砂糖を混ぜる)、
だ乎郎遒蝓癖栃瓦鮴乎呂貌れる)、ナ髑押
・当社では、栗やアケビに似せた薯蕷饅頭を作っている(『山の苞(つと)』)。


(ニ)上生菓子
上生菓子の代表はきんとん。当社では日本画の先生に20 年間色使いの指導を受けた。
例えば、赤の色も季節によって変えている。微妙な色の違いを濃淡で表すが、色使いが難しい。

 

 


5.大阪ミナミの文化と福壽堂の和菓子

 


寛永3 年(1626 年)、多くの芝居小屋が道頓堀川南岸に移され、道頓堀は芝居の町として繁栄した。1650 年代には質を維持するため興業の権利を官が与えることとなった。
その後天保の改革で角座、朝日座、弁天座、浪花座、中座の5 座に絞られた。
一方、道頓堀川をはさんだ北岸の宗右衛門町は、格式の高い花街で、「富田屋」「伊丹幸」「大和屋」といったお茶屋がその中心として繁盛した。また、宗右衛門町には歌舞伎役者も多く住んでいた。なかでも南地大和屋は明治10 年創業、平成15 年まで続いた老舗料亭だった。大和屋の功績として忘れてはならないのは、経営者の阪口祐三郎が芸妓を教育訓練する「大和屋芸妓養成所(のちに「大和屋芸妓学校」)を併設したことである。
大和屋には能舞台が設けられ、新年行事である「始業式」は毎年十日戎が終わった後の1 月14 日にこの能舞台で行われた。
宗右衛門町で創業した福壽堂はこうした花街と芝居文化のなかで育ち、多くの料亭や歌舞伎役者に贔屓にしてもらって発展することができた。先代が初めて大和屋に菓子を納めたとき「もっさりしとんな」と言われたという。なかなかこの意味がわからなかっ
たが、要は「decorative にすぎる」ということだと気が付いたという。いかに自然をデフォルメして表すかに腐心したが、「Simple is best」だということがわかった。
和菓子は日本人の生活に密着して発展したもので、これからも日本の文化を受け継いでいきたいと願っている。


以上

 

 

 

 

 

 

懇親会 報告


代表幹事 河野 裕亮(昭53 経)

 

 


懇親会会場に移動ののち、岩田幹事の司会で懇親会が開会となり、夏住副会長の開会の挨拶と乾杯の音頭で、賑やかな食事歓談が始まりました。
途中、この秋から来年の行事の紹介を行いました。
その後、今回初めて関西東大会の行事にご参加いただいた方々に、自己紹介とご挨拶をお願いしたところ、皆様熱弁をふるわれました。
そして、恒例の東京大学応援歌「ただ一つ」を全員で斉唱いたしました。
最後に日笠代表幹事が、閉会を宣言し、来年2月5 日(日)開催予定の創立30周年記念大会となる総会兼新年会での再会を期して、関西東大会講演会はお開きとなりました。


以上

 

 

 

 

 

 

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