関西東大会平成25年新年祝賀会 報告

代表幹事 河野 裕亮(昭53経)


関西東大会平成25年新年祝賀会が、下記の通りに開催されましたので、報告致します。


日 時:2013年1月20日(日) 18:00〜20:45

会 場:ウェスティンホテル大阪 2階「オリアーナ」

出席者:58名


【第1部 講演会】 18:00〜18:45 
箕浦 公人さんの司会で開会となり、上方文化評論家で、大阪京大クラブ会員の 福井 栄一(ふくい えいいち)先生に「七福神の饗宴〜新年を寿ぐ(ことほぐ)」という新春にふさわしい演題にて講演していただきました。
 福井先生は、大阪府吹田市のご出身で、京都大学法学部ご卒業。住友銀行にご就職され、その後、京都大学大学院法学研究科修了ののち、銀行員から、一念発起して上方文化の語り部になられました。

 現在、上方文化評論家として、上方の芸能や歴史文化に関する講演、評論、テレビ・ラジオ出演などを精力的に行い、独特の「福井節」で人気を博しておられます。また、関西大学社会学部および大阪夕陽丘学園短期大学 非常勤講師、ヒトと動物の関係学会 理事、日本ことわざ文化学会・朝日21関西スクエア・大阪京大クラブ会員でいらっしゃいます。実は剣道2段の剣士でもいらっしゃいます。また、先生の著書は22冊を数えています。

 先生には、自己紹介の後、七福神について、由来・歴史・現状などを分かりやすく福井節で語っていただきました。

 一部を抜粋しますと、
・ 七福神は「仁王護国般若波羅蜜経」にある「七難即滅七福即生」の連想で室町時代中期に成立したグループです。一度下火になりましたが、江戸時代に盛んになりました。

(ちなみに 七難とは、太陽の異変・星月の異変・水害・旱害・風害・火災・盗難 七福とは 徳・愛・威・豊・敬・寿・福 のことです。)

・ 七福神のメンバーは下記の三カ国の連合軍です。
 インド由来 大黒天・弁才天・毘沙門天
 中国由来  布袋・福禄寿・寿老人
 日本由来  恵比寿
 このことは、江戸時代の人にも知識としてあって、
 「宝船、日本からも一人乗り」という川柳が残っています。

・ 当初は、吉祥天や猩々(大きな猿)なども七福神のメンバーに入ったりしていましたが、
 吉祥天は庶民の女性に不人気だったり、毘沙門天の奥さんだったことからメンバーからはずれ、猩々は動物で絵面が良くないので、敬遠されて今のメンバーに固定されました。

・ ちなみに弁才天は 弁財天と書くこともありますが、元々「辯材天」であり辯は「弁護士」の元の字が「辯護士」であったように、「言葉をあやつる神」「才知を司る神」であったのが、時代とともに「歌舞音曲の神」から「財力の神」へと移っていき、「弁財天」とも書くようになりました。

・ 七福神にはそれぞれに使獣がいます。但し、布袋だけはモデルが中国の実在の禅僧契此であったため、獣使いのような通力は持っていないと考えられ、シンボルの袋となりました。

 覚え方「鶴と鯛、鹿・蛇・百足・子に袋」
 鶴−福禄寿 鯛−恵比寿 鹿−寿老人
 蛇−弁才天 百足(むかで)−毘沙門天 
 子(ね・・ネズミ)−大黒天 袋−布袋
・ 七福神だけでなく、神仏には縁日があります。是非とも覚えて帰ってください。

 8日−薬師如来 10日−金毘羅 18日−観世音菩薩 21日−弘法大師
22日−聖徳太子 24日−地蔵菩薩 25日−天神 28日−不動明王

・ 現代の七福神は、各地域で、七福神めぐりが盛んで、特に阪急電鉄は阪急沿線(宝塚線)西国七福神集印めぐりという企画を進めていて、大福帳という名前の集印帳を主要駅や社寺で購入して各寺社を巡ると、集印ごとに七福神のフィギュアがいただけ、7つ集めると主要駅で阪急電鉄オリジナル「ミニチュア電車」がもらえ、七福神の台座になっているそうです。ここで、先生は、3名の方に大福帳をプレゼントされました。

尚、懇親会にて、福井先生のサイン入り著書「増補版 上方学」が10名さまに当たる、「お年玉大抽選会」があることを告知して、和やかなうちに講演会が終了しました。
 
 

 
講師の福井栄一氏
 
 
  


爆笑したり感心したりの講演会の模様
 
 
 
【第2部 懇親会】 18:45〜20:45 

引き続き箕浦 公人さんの司会で第2部の懇親会が開会となり、北 修爾 会長の開会の挨拶のあと、小池 俊二名誉顧問の乾杯の音頭で、賑やかな食事歓談が始まりました。
歓談の途中で来賓のご挨拶があり、

 東京大学同窓会連合会事務局長 長崎 新一 様
 大阪京大クラブ代表      山内 潤三 様 
 同            並木 宏徳 様 
 にご登壇いただき、ご祝辞を賜りました。
 
 しばしの歓談の後、講演会で告知していました、福井先生のサイン入り著書「増補版 上方学」が10名さまに当たる、「お年玉大抽選会」を開催し、福井先生の厳正な抽選のもと10名さまに先生から著書が渡されました。

続いて、司会者より、今回初めて関西東大会の総会に参加した方々に、自己紹介と挨拶をお願いしたところ、該当するたくさんの中堅・若手の方々が積極的に応じられ、皆様熱弁をふるわれました。

懇親会の終盤には、恒例の「琵琶湖周航の歌」を、続いて東京大学応援歌「ただ一つ」を全員で斉唱しました。(今回もBGMを用意しました。)

最後に、寺田 雄一 監事が、閉会を宣言し、総会(平成25年10月11日(金))での再会を期して、関西東大会平成25年新年祝賀会はお開きとなりました。
 

 
北 修爾会長の新年のご挨拶
 


関西東大会新年祝賀会に初参加の方々のスピーチ
 

以上


第5回 東大ワールドカフェ関西 開催報告

第5回 東大ワールドカフェ関西 開催報告

幹事 久武正明 (平3 工 建築)


第5回 東大ワールドカフェ関西が、下記の通りに開催されましたので、報告します。

日 時: 2012 年5 月13 日(日) 13:00〜17:00 (その後懇親会 〜19:00)
会 場: 四條畷学園 清風学舎 80 周年記念ホール 参加費:2,000 円
主 催: 関西東大会 協 賛:東京大学卒業生室 出席者:17 名
講師: 生駒市長 山下 真 氏
テーマ: 「『いい人』だけでは戦国時代は生き残れない!」

山下 真 氏のプロフィール:



生年月日 昭和43 年6 月30 日生まれ
平成4 年3 月 東京大学文学部フランス語 フランス文学科 卒業
平成4 年4 月 朝日新聞社入社
平成4 年12 月 同社退社
平成6 年4 月 京都大学法学部3 年次編入学
平成10 年3 月 同学部卒業
平成10 年4 月 司法修習生(52 期)
平成12 年4 月 弁護士登録(大阪弁護士会)
平成18 年2 月 生駒市長就任
平成22 年2 月 生駒市長就任(2 期目)


第5 回東大ワールドカフェ関西は、5 月13 日(日)の13 時〜19 時、四條畷学園 (80 年記念ホール)
にて行われた。

山下真 氏は、1992 年東京大学文学部卒。朝日新聞入社後、京都大学法学部に編入学。1997 年司法試験に合格し、2000 年弁護士登録。2006 年より生駒市長に就任。2010 年より、2 期目を向かえ、新聞記者時代の情報発信力と弁護士としての説得力で、日本初となる革新的な政策を実現している。

ブログ ( http://www.city.ikoma.lg.jp/blog/ )や ツイッター ( @yamashitamakoto ) でも、精力的に情報を発信されている山下真 氏から 「『いい人』だけでは戦国時代は生き残れない!」 というテーマでメッセージを頂い
た。

【第1部 キーノートスピーチ&ワールドカフェ】 13:00−17:00

【キーノートスピーチ の内容抜粋】
世界及び日本の置かれた状況
・ヒト・モノ・カネが国境を越えるグローバリゼーションの世界において、日本は厳しい状況にたたされて
いる。
・フランスやギリシャの選挙結果をみると、政治の世界では、世論の動向を意識したポピュリズムの流れ
となっている。

○ 民間企業の現状
・民間企業の安定した成長、会社経営は望めない。
・激しい国際競争の結果、失業や非正規雇用の拡大、賃金水準の低下などを招いている。

○ 政府や自治体の公的セクターの状況
・その結果、税も減少し、国債・地方債の発行でしのぐ。
・債務依存が限界になり、医療・介護などの福祉予算もカットされる状況。
閉塞感の増大
・格差が拡大し、不満が蓄積。
・左右を問わず、破壊的な極端な主張が支持される状況。
そういう時代にもとめられるリーダーとは?
・既存の枠組みを踏襲するだけではだめ。
・強力なリーダーシップをもった人が求められている。
「出る杭は打たれる、出ない杭は腐る、出過ぎた杭は打たれない」。 出過ぎた杭になること。
この時、重要なことは、出過ぎても組織にとって必要不可欠と思われるだけの実力をつけておくこと。
また、人間は、誰しも、「いい人」でありたいと思うが、それがために、自分の行動を抑制してはいけない。
他からの反発は覚悟の上で、つきぬけることが大事。
これが、今回のテーマの意味となっている。

○ 「東大力」とは? 〜「東大卒でスミマセン」中本千晶著より 紹介〜
東大力とは、
・与えられた課題の本質をきちんと理解し、
・課題の達成に影響する要因を掌握し、うまく調整した上で、
・スケジュールをきっちり立てて、そのとおりにひたすら邁進し、
・誰からも文句を言われないような形で完遂することができる力。
東大力 3つのコンプレックス
逆学歴コンプレックス
実はクリエイティブじゃないコンプレックス
世間で思われているほどできないコンプレックス
「レールから降りるのが怖い」症候群
・回り道をすることで失うものと得られるもの


【ワールドカフェ テーブルテーマ】
1 東大卒で得したこと、損したこと
2 東大力、3つのコンプレックスに心当たりは?
逆学歴コンプレックス
実はクリエイティブじゃないコンプレックス
世間で思われているほど出来ないコンプレックス
3 「レールから降りるのが怖い」症候群ではありませんか?


【懇親会】 17:00−19:00
・引続き行なわれた懇親会には、山下氏にも最後までお付合いいただきました。
幅広い世代の方にご参加頂き、活発な議論が行われ、交流を深めました。

以上


関西東大会 平成24年 新年祝賀会 報告

代表幹事 日笠 賢(昭55経)



関西東大会恒例の新年祝賀会が、本年度も下記の通りに開催されましたので、報告します。



日 時:2012年1月29日(日) 18:00〜21:30
会 場:ウェスティンホテル大阪 2階「オリアーナ」
出席者:51名

【第1部 特別講演会】 18:00〜18:45

〔会長挨拶〕

美濃和 秀幸さんの司会で開会となり、まず、北 修爾 会長が新年の祝賀のご挨拶に立たれました。この中で特に、昨年の総会で会長に就任されて以降、懸案として引継ぎのあった「三鷹国際学舎新棟建設問題」について、資料(本文最後尾に添付の「訪問記録」)を出席者全員に配布のうえで触れられて、

小池俊二 前会長からの引継ぎで、「東日本大震災を受け、東京大学の予算、施設計画に変更が起きている。三鷹国際学生宿舎への寄附にこれまで積極的に取り組んできたが、東大当局に照会し、現状を把握した上でしっかりと舵取りをして下さい。」と言われた。

これを受けて、昨年12月24日に日笠代表幹事とともに東大の施設整備の最高責任者である前田正史 副学長にお目にかかり、教養学部創立60周年記念事業として取り上げられた三鷹国際学生宿舎の新棟建設について伺った。

東大側から、寮の整備は国家予算の配分対象ではなく、東大当局の自主財源で行うべき施設で、先の大震災を受けて、かねてよりの構想もより長期的な取り組みとならざるを得ない状況になったという説明があった。

関西東大会として母校のグローバル人材育成の見地に賛同して、関西東大会として寄附の運動をしてきたが、このように喫緊の課題ではなくなったので、あらたに東大当局から連絡を受けるまで、静観することにした。

当面は、関西東大会の運営の重点を会員増強を中心とした組織強化へ移していきたい。

特に本年秋の総会は、関西東大会創立25周年と重なり、大変人気ある 村山 斉 教授(数理連携宇宙研究機構長)に講演をお願いしているので、多くの会員を集めたい。
と、お話されました。



〔講演会〕

続いて、奈良県立万葉文化館館長で池坊短期大学学長、また関西東大会の副会長でもある中西 進 先生から、「新春アラカルト」と題して特別講演をしていただきました。

中西先生は1953(昭和28)年東京大学文学部ご卒業で、文学博士、文化功労者です。万葉集など古代文学の比較研究を主に、日本文化の全体像、精神史の研究・評論で著名な先生ですが、今回は、時代を追いながら「日本人がどのように正月を迎えて来たのか」について、ユーモアをたっぷり交えつつ、大変楽しいお話をしていただきました。

その中から一部を抜粋すると、

(1) 759(天平宝字3)年、『万葉集』選者の大伴家持による『万葉集』最後の歌、

〜新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事〜
(あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)

は、因幡国(鳥取県)に国司(国守)として赴任していた家持が、年頭に郡司らを集めて催した宴の席で詠んだ歌で、「新しい年のはじめの、新春の今日を降りしきる雪のように、いっそう重なれ、吉き事よ。」ということであるが、これは、当時の暦である太陰太陽暦の1月1日が、太陽の運行を元にした二十四節気のひとつである立春と丁度重なり(19年に1度起きる)、しかもそこに家持の大好きな雪(元日の雪は豊年の瑞祥と考えられており、美しい純白性と平等性を示すものとされた)が降って、大変目出たい、今年も良い吉事が沢山有りますようにという意味がある。(背景には、家持が当時置かれた状況もあった。)

ここに奈良人の、月と日の巡りに祝福されての、あふれるような命の賛歌を感じる。
これとは対照的に、正月の前に立春が来たというズレを歌ったのが、古今集の一番目の歌、
〜年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ〜
(としのうちに はるはきにけり ひととせを こぞとやいはむ ことしとやいはむ)
であり、意味としては、「年内に春は来てしまったよ。まだ新年が来ていないというのに。この一年を昨年と言おうか、それとも今年と言おうか。」ということになる。

(2) その古今集選者のひとりの紀貫之が、土佐日記で935(承平5)年正月元旦のことを京の元日と比べて、「いもじ、あらめも、はがためもなし。かうやうのものなきくになり。もとめしもおかず。」(=ずいきも、食べる海草も、正月恒例の食物もない。こういう京で正月に普通に食べるような物が無い土地である。探したが、どこにも置いていない。)とか、「ただ、おしあゆのくちをのみぞすふ。このすふひとびとのくちを、おしあゆもし、おもふやうあらんや。『けふは、みやこのみぞ、おもひやらるる。』『こへのかどの、しりくべなはの、なよしのかしら、ひひら木ら、いかにぞ』とぞいひあへなる。(=ただ押鮎の口をかじるだけだ。このキスをするような人々の口を、押鮎がひょっとすると何か考えるところがあるのであろうか。『今日は都のことばかり想像させられる』『小家の門のしめ縄にぶら下がっているボラの頭や柊などはどんなだろう』と話し合っているようだ。)など、様々に書き綴っているが、ここに既におせち料理の原型があったことや、今は節分に行なう風習があったことが想像出来る。

(3) 1688(貞享5)年に書かれた井原西鶴の「日本永代蔵」は、節約の始まりがお正月であり、柳の太く丸い箸は削って1年使うとか、鯛の飾りを見て食べたつもりになるとか、七草の「雑炊」は「増水」にかけて倹約をするとか、成功をする町人の年頭の教訓として、「万事節約」のことが様々に書かれている。

(4) 1897(明治30)年に書かれた尾崎紅葉の「金色夜叉」では、正月の「かるた会」が、明治時代の公認された若い男女の交際の場であった様子が描かれている。

などのお話がありました。


【第2部】 18:45〜21:30

〔懇親会〕

第1部に引き続き美濃和 秀幸さんの司会で第2部の懇親会が開会となり、北 修爾 会長がご挨拶されたあと、関西東大会の重鎮で一般法人 本願寺文化興隆財団理事長の大谷暢順 御法主台下に乾杯の音頭を取っていただき、賑やかな食事歓談が始まりました。

例年に比べて、平成になって卒業した若い会員が増え、また初参加者を含めた全体人数も多く、各テーブルで名刺交換の輪が広がりました。

歓談の途中で来賓のご挨拶があり、まず和歌山赤門会代表の安藤 元二 様が、続いて大阪京大クラブから前会長代行の山内 潤三 様と理事総務委員の並木 宏徳 様、中村 誠 様が壇上に上がられて、お祝いの言葉を述べられました。次いで祝電の披露となり、東京大学同窓会連合会の森 亘 会長様、大阪京大クラブの鈴木正裕 会長様、関西東大会 前会長の小池俊二様ほかから届けられた祝電が司会者により読み上げられました。小池 前会長からは、「新会長のもと、関西東大会の新年を祝う会が盛大に開催されましたこと心より喜んでおります。

昨年の総会において、濱田総長が自ら提起されました東大の秋入学問題について、今や国民的レベルにおいて議論がはじめられましたことは、我が国大学教育の国際化への対応としてとても大切なことと思います。我々同窓の一員として、この議論に活発に参加することを期待するものであります。」とのメッセージがあり、皆に紹介されました。

しばしの歓談の後、今回初めて関西東大会の公式行事に参加した次の方々から、一人ずつ自己紹介とご挨拶をしていただきました。(順不同)

・ 山中 俊之 様(グローバルダイナミクス代表取締役社長、関西学院大学教授、大阪市特別顧問)
・ 藤井 薫 様(蠅砲舛曠轡鵐タンク)
・ 川条 志嘉 様(前 衆議院議員)
・ 中元 美和 様(就活支援事業A-Career起業)
・ 児玉 実史 様(北浜法律事務所 弁護士)
・ 浦山 周 様(北浜法律事務所 弁護士)
・ 谷 明典 様(北浜法律事務所 弁護士)
・ 徳弘 憲一 様(パナソニック蠎臟さ算奸
・ 加藤 宏一郎 様(瀬戸内海放送蠡緝充萃役社長)
・ 梶浦 秀樹 様(螳叩瓩いり=代表取締役)
・ 松尾 隆之 様(NTN 執行役員)
・ 阿部 武司 様(大阪大学 大学院経済学研究科 教授)

さらに盛況となる中、山内様と並木様、中村様のリードで「琵琶湖就航の歌」を、続いて菊池敏博前代表幹事の先導により東京大学応援歌「ただ一つ」を全員で斉唱しました。

最後に、小松健男名誉顧問にご挨拶いただき、秋の創立25周年記念総会(10月7日(日))での再会を期して、平成24年関西東大会新年祝賀会はお開きとなりました。

以上




関西東大会のホームページへ



関西東大会6月例会講演会 講演記録

 

昭和40年 教養卒 寺田雄一

 

関西東大会6月例会講演会は、今年のNHK大河ドラマ「江―姫たちの戦国」に関係して「お江と秀忠」と題して、東京大学大学院情報学環・資料編纂所山本博文教授にお願いした。なお、山本先生は、関西東大会日笠幹事の高校時代の同級生とのことで、その関係から大阪での講演をお受けいただいたものである。

山本先生は、25ページに亘るかなり詳細なレジメを用意し、それに沿って約1時間半講演を、その後は約30分質問をお受けいただいた。その概要は以下のとおりである。

 

1.    江の誕生

(1) 戦国時代、美女の誉れ高い、織田信長の妹お市と浅井長政との間の三女として元亀4年(1573年)に誕生。長女は有名な、後の淀殿、次女はお初。

(2) 江の誕生間もなく、信長に離反した浅井長政の小谷城は落城、長政は自害するが、お市と三姉妹は信長に引取られる。

2.    お市の再婚

(1) 天正10年(1582年)6月、本能寺の変で信長が倒れると、お市は三人の姉妹を連れて

当時信長の後継者と自称していた柴田勝家と再婚。

(2) しかし、翌年秀吉と信長の跡目を争った勝家の北庄城は落城、お市の方(36歳)は勝家と運命を共にするが、三人の姉妹だけは秀吉に救出される。

3.    お江の結婚、離縁そして再婚

(1) 天正12年(1584年)、お江は12歳で、いとこの尾張大野城主佐治一成と結婚したが、小牧・長久手の戦いで織田信雄(信長の次男)を擁立した徳川家康の味方をしたことに秀吉は激怒し、強引にお江を奪い返す。

(2) 文禄元年(1592年)、お江は秀吉の命により、秀吉の甥の秀勝の元へ嫁ぎ、長女完子(さだこ)、後の関白九条忠栄正室)を出産するも、夫秀勝は出征中の朝鮮で病没している。

4.    秀忠との出会いと結婚

(1) お江の三度目の夫となる徳川秀忠(後の2代将軍)は、天正7年(1579年)に家康の三男として誕生。長男信康は秀吉に自害させられ、次男秀康は家康に疎んじられて、三男の秀忠が実質的な嫡子扱いとなる。

(2) 秀忠は12歳で、織田信雄(信長の次男)の娘小姫(おひめ)と縁組するが翌年小姫は病没する。

(3) 文禄4年(1595年)4月、秀吉の甥秀保没、その兄秀次は謀反の疑いを掛けられて自害、秀吉の病気もあり、この頃から豊臣家に落日の気配が見え始める。

(4) 同年9月、お江(23歳)は、徳川家との関係強化を求めていた秀吉の命により、6歳年下の徳川秀忠(17歳)と結婚し、間もなく長女千姫誕生。嫡子秀頼と千姫との縁組を取決めた秀吉は、翌年豊臣家の将来に懸念を残して病死した。

(5) お江は秀忠との間に、次女子々姫(加賀藩前田利常と縁組)、三女勝姫(越前藩松平忠直と縁組)、四女初姫(次姉お初の養女となり、京極氏に嫁す)、五女和子(まさこ、後水尾天皇の中宮、明正天皇の母)を次々に出産。

5.    家光の誕生と結婚

(1) 慶長9年、待望の長男家光(幼名竹千代は家康と同じ)誕生。

(2) 11年5月には次男忠長(幼名国松)誕生。この頃、お江は病気勝ちの家光よりも次男の国松を寵愛していたらしい。同16年、お福(後の春日の局)が家康に直訴して、家光の継嗣が決定した。この時のエピソードとして、江戸城で、竹千代と国松が家康に拝謁した時、家康は竹千代には菓子を与えたが、国松には与えなかったので、これにより、家康の意向が長男の竹千代にあることが、家中に認識されたとのことである。

(3) 元和9年、お江の意向で、関白鷹司信房の娘孝子を家光の正室として江戸城に迎える。お江と、2番目の夫木下秀勝との間に生まれた完子(さだこ)が九条関白家に嫁いでおり、家光の正室としてしかるべき公家の姫を推薦させた由。

(4) 寛永3年(1626年)9月、お江死去、享年54歳。盛大な葬儀が行われたが、なぜか家光も忠重も参列していない。

(5) 家康の死後、国松(忠長)は、甲斐、更に駿河、遠江を与えられて55万石の大大名となっていた。しかし、寛永7年頃から、家光と忠長の関係が険悪となり、忠長の乱心(意見をした家臣を斬るなど)もあって、秀忠は忠長を勘当、更に、秀忠の没後謀反の動きありとして、家光に自害させられた。

(6) お江の死後お福(春日の局)が大奥で権勢を奮うようになり、お江が推した家光の正室孝子は大奥では力を持たず、不遇に終始して、家光を疎んじていたお江の影響力は急速に低下した。

質疑応答

Q .家光の時代に幕府の基礎ができたと思うが、家来の中で特に貢献したのは誰か?

A 家康は、秀忠に、家康の側近第一の本多正信の子正純をつけたが、他に秀忠は、自らの側近として土井利勝、譜代の酒井忠世、安藤重信らを加えて「年寄」の集団を形成、幕府の最高機関としての「年寄制」が成立した。家康のブレーンであった、「黒衣の宰相」(金地院崇伝)は次第に遠ざけられ、本多正純も後には改易させられた。

秀忠時代に最も影響力を持ったのは土井利勝で、あらゆる機会を捉えて危険視される大名等の改易、とりつぶしを行い、江戸幕府の基盤強化に力を発揮した。

秀忠の死後、三代家光は、年寄制度を再編し、土井利勝に集中していた権限を奪い、土井、酒井忠世、酒井忠勝の3年寄の合議制とした。その結果、土井利勝の権限は弱まり、酒井忠勝が台頭した。家光自身も生まれながらの将軍として、乱心の気味のある弟忠長を自害させ、豊臣氏に近い有力大名(肥後の加藤氏)を改易するなど、諸大名との主従関係を確立し、将軍の力は一段と強化された。

Q  お江の役割、貢献は?

A  10年間で、跡取りの家光を含め子供をキチンと生んだことであろう。秀忠との力関係ではお江の方が上であった。歳も6歳上であったが、秀忠はお江に頭が上がらなかったのでは。

Q 正室であるお江に7人の子供がいたのは、当時としては珍しかったのでは?

A  お江が嫉妬深く、秀忠が決まった側室を持たなかったからであろう。唯一の異母弟であり、名君として名高い保科正之でも、その母の懐妊が分かった時から、お江の指示により保科家に預けられ、家光が会えたのはお江の死後であったという。

30分の質疑応答の後、更に、会長、事務局長他有志で、場所を変えて3時間弱山本先生を囲んで懇親会を持った。講演会から懇親会まで、実に5時間弱、出席者にとっては極めて有益な一時であった。先生にはまた関西に来てほしいとの要望が出された。     

参考資料  山本博文 「徳川将軍と天皇」 中公新社 1999年刊行 立石優 「徳川秀忠と妻お江」 PHP文庫 2011年1月刊



関西東大会4月例会(芭蕉・俳諧文学講座)の報告

                              s34文 岡部 高明

芭蕉の「不易流行論」

(講義は東日本大震災から一ヶ月たたない4月9日におこなわれた。)

 今回の被害状況はリアルタイムで世界につたわり、人々は日本人の無私の精神に驚嘆した。日本は礼節をまもる国と世界が報道した。これは昨日今日このような国になったのではない。

「魏志倭人伝」に大和民族の記述がある。「和人の島は夏も冬も生野菜を食す。長生きで百歳の人もいる。女性は嫉妬しない。盗人もいない。礼節を大事にする」。

 日本人の行動をみて諸外国の日本を見る目がかわった。礼節は大和民族固有のものだ。植村花菜の「トイレの神様」のなかで、祖母が「トイレはきれいにするんだよ」と言っているように誰に教えられなくても礼節は守られていく。日本中のおじいさん、おばあさんが今日の日本人をつくった。

 主義主張によってではなく、心の琴線にふれているものが民族の文化であり、その一つに「無常」がある。鴨長明は飢饉、大火、地震に遭遇し無常観から「方丈記」を書いた。一瞬前までは誰も思わなかったことが起こる。永遠なものはない。すべては変わる。だから無常という。

「不易流行」とは、「不易」は永続性、「流行」は新風で対立するものではない。流行は不易であり不易は流行である。ともに風雅の心から出て根は一つである。

 先生はテキストに基づいて「芭蕉の『不易流行論』」を以下の項目で講義して下さった。厖大な勉強の二時間でした。

(一) 不易流行の辞書的説明

(二) 去来の不易流行論

(三) 土芳の不易流行論

(四) どうして不易と流行が相即するといえるのか

(五) 芭蕉の無常観と「まこと」

(六) 俳諧の「新しみ」と流行。



 




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辻惠衆議院議員時事講演会レポート

『東大闘争40年〜志の持続と内省と、道義ある政治家たらん〜』

 

S47農  白井 俊和(代表幹事)

下記の要領にて掲題講演会が、そして引き続いて懇親会が催されました。
 

 
日時 : 平成23年1月12日(水)18:30〜20:00(懇親会 20:10〜21:40)
講演場所 : 大阪駅前第2ビル5階第5研修室
参加者: 当会会員、会員の家族・知人、辻惠後援会幹部 計20名
 
≪講演〜要約〜≫
生命エネルギー溢れ能力ある若者がいつの世にもそうであったように、辻惠は所与の時代に生きる者としての制限はあるものの(つまり団塊の世代の一員として)大いなる希求の対象と正義感を心中深く抱きながら、精一杯多感な青春、つまり次のステージに備えてのモラトリアムの時期を、学生運動を核として過ごしてきました。
東大闘争(1968年)以来の大学の直面する諸問題に臆することなくチャレンジしたこと、そして成功・満足と失敗・挫折の遍歴を、思想・哲学を大上段に構えて披露することなく、イッヒロマン的(私小説的)に語り、それにより世代的に近い層のみならず、参加者全員に感銘を与えました。彼の律儀、真面目で真摯な話しぶりに対し、頷き返して相互交流を図った懐深い女性の方々のことは、彼に強い印象として残ったようでした。
 
そして、懊悩の末に、迷いながら消去法の結果、司法試験合格を目指すことに決め、弁護士となりました。しかし、更に、彼は既存の所与の条件の下で、つまり現国家権力の下に活動することに疑念・煩悶を深く抱くようになり、政治家を志向し様々なプロセスを経て国会議員となりました。
 
講演を締め括るに当り、“今正に政局は揺れ動き、且つ状況は錯綜しており、あるべき姿に向かって安易に一本の道を見出せる事はあり得ず、五里霧中・暗中模索を余儀なくされるが、身命を賭して国政に従事していく”と、参加者全員に約束しました。
 
 
≪講演〜詳細〜≫(順不同)
・留年・学士入学で12年間大学に極めて安い授業料で在籍(モラトリアム期間)
・弁護士になって30年目(1981年弁護士登録)
・(弁護士生活だけでは満足出来なくなった)53〜54歳の時が分岐点、その後政治家となって(2003年比例区で衆議院議員に当選、55歳)9年目だが浪人期間は4年間
・2009年8月衆議院議員に当選、民主党副幹事長に就任(現在は国対副委員長・法務委員会筆頭理事)
・戸惑い悩みながら飛び込みチャレンジしていった学生運動の経験が今の自分を作る基礎になった。
 世の中に出て、その奥深さときれいごとでは済まないということを知ったが、学生時代の活動が生きる支えになっている。
・大阪府立大手前高校同期生の羽田闘争での死去を契機として学生運動に参加(自分が何者か、何をしたいのか、何になりたいのか分からない状況で)。
・大学生になって母から言われたことは、“山登り、煙草には没入しないで!”ということだったが、この禁忌を全て破ってしまった。
・三鷹寮時代には、他の寮生と一緒にストームと称して近くの女子大寮に攻めかけた(1969年以降はかようなバンカラな風習が消えた)
・1969年1月安田講堂立て籠もりの前に逮捕された。
・1969年1月18・19日安田講堂封鎖解除が機動隊に依り実行された以降民青との闘争に負け、駆逐された。
・学生運動を投げ出す勇気も無く、心の整理・総括もきちんと出来ぬまま、企業戦士や官僚にも成りきれない自分を発見し、司法試験合格・弁護士資格に忸怩たる思いで辿り着いた。
・いそ弁となったが、雇い主と方向性が合わず、間もなくクビとなったが、薬害訴訟に取り組む弁護士事務所に拾われた。
・弁護士・検事・裁判官の純粋培養を狙う司法改革には反対。
・1990年後半に、民事も刑事も2年で結審させよ、という”2年化法案”は有害であり、反対した。
・55歳になって今後の人生の舞台をどこにするか、”政治家は恥ずかしいが走りながら考えよう”と2003年9月30日に民主党の公認を受け11月9日の選挙で衆議院議員に当選し(1年9ヶ月間在任)、その後大阪市長選に出たが次点で落選、現在は2期目の衆議院議員の途中。
・民主党の官僚上がりの議員は官僚に搦めとられており、官僚を一度は押さえつける必要あり。自民党内には党人派と官僚派があるが、民主党も党人派勢力を強化することが肝要。
・法務省より検察庁の力が強い。というのは、事務次官の上に10人の認証官(検事総長・次長検事・各高検検事長)がいるからである。
 
 
《感想など》
参加者は20名と多くはありませんでしたが、“聞き手が少ない程、話し手からの情報の質が高まる”という通り、講演会・懇親会の場でオフレコの話が多く出、現役で活躍する代議士に接する機会が少ない多くの参加者にとっては貴重な機会となったと考えます。先にも触れましたが、殊に御婦人方の傾聴振りは真剣そのもので、彼女たちの頷きによる反応は議員に感銘を与えたようでした。
 
医療NGOであるペシャワール会現地代表の医師で、アフガニスタンで井戸掘りや灌漑事業に従事している中村哲氏が述べていたように、志ある人は、多かれ少なかれ自らの成功を願う野心のみでは大成出来ず、人の為世の為にこそ奮起のエネルギーもいや増し、大事を成すことが出来るのだと思います。辻恵という人間も“内省を深めながら志の持続を図り、道義ある政治家たらん”として大義・大望の実現に向かっているのでしょう。
 
辻惠と中学の同期でもある小生は、大学紛争中の駒場のキャンパスで偶然に出会いました。中学卒業以来初めてでした。
彼は数人の同級生を回りに従えるかのように歩いていました。多分同級生の中で闘争理論のリーダーであったのでしょう。彼は小柄ですが、背後にオーラのようなものを感じたものです。
 
大学紛争当時の活動する学生・研究者・教員たちの想いと行動とその結末について活動家が記したものが或る本の中に見つかりました。
少し長いですが、ペダンティックでもなく難解でもない文体ゆえ、当時の雰囲気・においが手に取るように感じられますので、一部を引用してみます。
 

 
 実存の1個の人として、“人間とはそもそも何か?そもそも何に基づいて生きかつ学ぶか?”という”ひとつの共通の問題”をよそにして、学徒・学究たることは事実上不可能。今までこの“一つのねもと”に関る問に本当に答えることはおろか、突き詰めてそれを問うことさえなしに、“私の”学問、“私の”研究、“私の”知識の所有をただ馬車馬のように追い求めてきた。その必然の結果が大学の学問の蛸壺化と畸形的繁殖、講座や学部や大学の間、大学と社会の間の厚い壁と闇取引、言い換えれば“競争と対立”、自己内外の“分裂と抑圧”の極である現状となっているのだ。そして今現在の“大学闘争””につながっているのだが、真にその名に値する“総合大学”の場となるはずの“解放区”はほとんどこれを満たすべき何物も産み出し得ぬまま、次第に倦怠と荒廃の色を濃くしていき、他方、諸セクト間の“内ゲバ”は以前に倍して激しくなり、ついに“闘い”は“敗北”に終わった。機動隊によってバリケードが撤去されたあとには、憤怒と絶望と、遣り場の無い寂しさの他、何物も、学徒・学究に残らなかったように見える。
 
しかし、彼らには、実は何も残らなかったのではなく、残ったものがあったのだ。
 
1.”大学教授”や”専門の学問”や”正規の授業”や”卒業の資格”を闘争の始まる前のようには評価することは出来なくなった。
 
2.学生たちがニヒルな気分に陥ったとしても、必ずしもネガティヴになることはない。全精力を傾けたその闘いの挫折を通して、過ぐる日の彼らの昂揚の中に、彼ら自身それと気付かなかった幻想の含まれていたことに気付いたのだ。即ち、現実の制度、権力関係の改革へはゆめゆめ短絡することを許されぬ距離のあること、これを達成するには、認識において、そして数と力において、それだけの着実な用意がなくてはならないことに気付いたのだ。

以上


 

 

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関西東大会新年祝賀会 特別講演 の報告

H3 工(建築) 久武正明 (文)
S45 農 藤田ひかる(画像)
日時:平成23年1月24日 17時〜21時
場所:ホテルグランヴィア大阪
 
 

関西東大会新年祝賀会は、平成23年1月24日(月)ホテルグランビア大阪において開催されました。来賓として 大谷暢順様、大谷祥子様、大阪京大クラブから 山内潤三様、木村美恵子様  をお迎えしました。
 
 特別講演では、京都女子大学学長の 川本重雄様より 「世界の中の日本の建築」という
テーマでお話があり、講演の概要は下記に記載しておりますが、たいへん味わい深い講演で参加者の皆さんは熱心に耳を傾けておられました。
 
 懇親会に入り、小池俊二会長のご挨拶があり、‖感叛献優奪肇錙璽の拡大、∋安詢牲設(寄付)などによる人材育成の推進、4慇湘貘膕颪硫餔増(1000人規模へ)による発展、の三つのお話がありました。その後、北修爾副会長の発声で乾杯となり、なごやかに歓談となりました。懇親会中には、来賓各位からのご挨拶があり、若手からも活動紹介がありました。
 

 (特別講演会 要旨)
日本の木造建築は、世界の中で最も美しい。その日本建築を、風土・精神論でなく空間論として位置づけ、また、中国建築との比較を通して日本の建築が果たした役割についての講義。
 
 建築は、大きく「柱の空間」「壁の空間」に分けられるが、日本建築は、内と外の境界が曖昧な 「柱の空間」に代表される。この開放的な「柱の空間」の起源は、風とおしの良さを求める風土的な理由ではなく、平安時代の儀礼的な舞台空間であると考えられる。つまり空間の機能がその由来となっている。その「柱の空間」は寝殿造りの住宅の一部に取り入れられ、冠婚葬祭の舞台となり、そこで発明された障子・襖によって、儀式と日常生活の両方に対応できる住まいへと発展していった。
 
日本の様式「和様」と、中国の様式「唐様」を比較したとき、「唐様」は、技術・意匠が大きく変化していくが、空間の変化は、少ない。一建築一空間が基本である。これに対して、「和様」は、技術・意匠の変化は少ないが、空間が大きく変化しており、機能に応じた空間がつくられている。一建築に空間が並列して並ぶ。
 
日本建築の考察として、金閣は、デザイン原理の異なるものを積層させた三階建ての建物である。利休の待庵は、大広間(書院造り)の対極の秩序にある空間のあるべき姿を追求したものである。民家には、柱の空間と壁の空間が併存し、壁の空間は火を囲う家の秩序の空間であり、柱の空間は床の間を頂点とする社会秩序の空間である。
世界の建築の中における日本建築の意味をまとめると
 
1.「柱の空間」の建築を住まいに用いた。
2.「柱の空間」を発展させ、様々な建築に用いた。
3.「柱の空間」と「壁の空間」の組み合わせにより、多様な建築文化を創り出した。
4.「柱の空間」をフレキシブルに使うことで、機能に応じた多様な使い方を実現した。

以上



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(料理をしなくてよい『料理教室』のお話) 〜秋の「男も料理教室」 報告〜

平崎雄晤(昭38法)


毎回好評をいただいている「男も料理教室」が平成22年11月1日、ホテルグランヴィア大阪のレストラン「フルーヴ」で開かれました。
 
今回は総勢23名の参加者と近来にない大人数で 新しく参加された方々も多数いらっしゃいました。(男性 12名、女性 11名)
 多くの方のスピーチの中で「料理をさせられるのではないかと心配だった。」との声があり、また、奥様方の中には「『男』と書いてあっても、やはり念のため前掛けくらいは持っていったほうが良いのではないか、と思った。」といったコメントもありましたが、決してそのような趣旨ではない(シェフの実演料理を見て、あとはお料理を楽しむ企画です。)ことを理解していただき、皆様大いにエンジョイされたようです。
 
 今回の主題は、「ブルゴーニュ地方の料理をアレンジして」ということで、実演料理(一流のシェフがやってくれるこの実演料理が、実は「料理教室」ということなのです。)は、「グージェール(チーズ風味のシュー)」でした。といっても、なにやらご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、シュークリームの皮をチーズ風味にしたもので、直径2cm位の可愛い丸いシューは、正に白ワインにぴったりのもので、しかも簡単に作れそうなので、早速自宅でも作ってみようと思われるものでした。
 
このグージェールが料理の最初に出され、その後は、「ブルゴーニュ風ハムとパセリのゼリー寄せ」、「エスカルゴのニンニクとアーモンドクリーム パセリの香りジャルダン風」、と手の込んだ、しかし年寄にはありがたい、軽い味付けのアペタイザーが続きました。
 
魚料理は「軽い燻製の香りを纏ったスズキの『ラ・コート・サンジャク風』」(この「ラ・コート・サンジャク」はブルゴーニュの名店で、シェフもそこで経験を積まれたとのこと。)、肉料理は「ブルゴーニュ名物 牛肉の赤ワイン煮」でしめくくられました。
 
もちろん、ソムリエによって選び抜かれたワインが料理を引き立て、各テーブルの自己紹介の時には、スピーチだけでなく 特技のカンツオーネまで飛び出し、皆様、大いに語り、楽しいひとときを過ごされました。
 
「大の大人が集まって高いフランス料理を食べるだけじゃないか?」と思われるあなた!普段のメニューには無い、関西東大会のためだけに特別に作ってもらえる料理を食べて大いに語ることは、正に「文化」ですぞ!
 
次回は 来年のゴールデンウイーク明け頃を予定しています。定員は28名、詳しい日程が決まり次第、お知らせしますので、是非早めのご予約をお待ちしています。


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「ベルクソンと生命の形而上学」(金森修教授講演記録)

s48法 安原 徹

講師:東京大学教育学部 金森修教授

日時:平成22年8月7日 14時〜16時

場所:大阪電気倶楽部

要旨:以下のとおり。なお、罫線内は先生が講義に際しパワーポイントで示されたもの。

 

ヒトと人

・ヒトは、自然科学的な対象としての人間

・〈文化〉的な存在として生きる人

・人は、ヒトであるにもかかわらず、ただそれだけではなく、ヒトから若干乖離したものとして生き、そのような自己理解をする。

・〈自然〉と〈文化〉との間の差異・緊張感

 

我々は生物学的存在であるとともに、単なる生物的存在から乖離したものとして存在する。生物学的・医学的に調べていっても我々が10万年くらい生きている「人間」としての存在を連続的に理解することはできない。

ヒト・・・・自然の一部

人・・・文化の中で生きている文化的な存在


「人」とは自然の地平と見分けがつかないのではなく、そこから離れている存在。その意味で自然から切り離されているから「不自然」」である。つまり自然から乖離した文化的存在として、芸術や科学を作りながら生きている。

 

ヒトと人

・誕生、死、女性の出産などの局面で、人は誰でもヒトとして生きることもある。

・にもかかわらず、普段の人はヒト的なあり方からは若干乖離した形式・様式の中で生きている。

 

出産のあり方は地域・文化・時代によって異なっている。また死についても、いつ死ぬか、どういう風に死ぬか等地域・時代によって多様な様式がある。

例えば、中世ヨーロッパの人々は、自分が死ぬことの予兆を見た(象徴的なものを見る)。自分はお迎えが近いと感じたという。そこで友人を呼んで挨拶をし、神父を呼んで罪を告白し、儀式をして安心して死んでいったという。また火葬はしない(これは生き返るから)。また事故死や突然死は、死に至る準備をしてから死ぬことができないので嫌われた。これが当時の死に対する文化であった。
 

死そのものはヒトにとって単なる事実である。しかしどういう死なら許され、どういう死なら許されないかは文化である。例えば行き倒れがよそ者が河原で死んだりすると埋葬しないで放っておく。すると亡くなった人がだんだん崩壊して白骨になる。観察事実としてはこの通りである。我々の先祖は犬に食われる死体を見ていたかもしれない。これが死者に対する文化的なあり方の違いである。

  

或る意味で、古典的な人間観

・ヒトの自己理解の精緻化に伴う、古典的人間観の表面上の衰退

・しかしそれは、本当の意味では衰退していないし、衰退しているという自己了解自身が、自分自身の重要性の過小評価に繋がる。

・人>ヒト 本来はそう その自覚が大切

 

昔の人間も我々も根源的には同じ。だから昔の偉大な人物の言葉は、根源的な条件にふれるものは今でも重要だ。現代のように人間が揺れているときには声を大にしていうべき。

 

小さい、しかし極めて重要な空隙

・愛≠生殖

・愛は人の行為で、生殖はそのヒト的な換言といってもいい。いずれにせよ、愛を生殖に還元することはできない。

 

小さい、しかし極めて重要な空隙

・前の事例とは異なる位相ながら

・勇気≠無謀さ、暴力

・慎み≠臆病、消極性

・両者は共に、人的な次元での価値的上下関係の構築、異質性の導入

・文化:価値 それと相即する反・価値

 

美しいということは逆に醜いものがあるということだ。我々は価値的な上下のもとで文化的な行動をしている。そしてそれが最高の価値になるものであるなら、それをするために経済活動を行う。経済活動を行うと世の中は活発で華やかなものになる。一方、私はマルキシズムは大嫌いだ。16世紀から19世紀にかけて世界中のインテリが考えたユートピアは大部分が社会主義・共産主義だ。それを実際に実験したのが20世紀のソビエトであり北朝鮮であった。正直に言ってこれはろくなものでない。何がいけないのか?まず、天才でないと計画経済などというものはできないということ。そしてそれを実際に取り決めるのは特権階級であること。国民にとってはいくら仕事をしようがしないでいようが一緒なのでがんばろうという気にならないこと。人間のポテンシャルが活かされないからおもしろくない。それ考えると経済もリベラルなほうがよい。

 今若者と話をするとカネを持っていない者が多い。個人の才覚、個人の経済活動が個人に戻るような社会がよいのではないか。もちろん極端なものは排除しなければならない。またカネを集めることだけが目的ではない。

  

生物学的な知見が進み動物としての起源がわかってきても、「結局人間ってこれだよね」などと考えないことが重要だ。人間は言い換えるとこういった動物だけれども、両者は一緒ではない。ダーウィンは、人間は調べれば調べるほど動物だと言った。しかし文化は動物からは出てこない。ここには宗教の持つ根源に触れるものがあるように思う。そういう意味で宗教は文化の背骨の一つだと思う。

 

デカルトは、人間の精神と体の距離を最大化した。つまり、動物には精神がないと考えた。これは文化史的には重要だ。つまり人間以外の動物はロボットのようなもので、人間だけが別物だ。このような考え方を思想として作った。ところが思想は机上のものに留まらない。人々はネコが単なるロボットに見えてくる。するとそのことが行動にも現れてくる。思想によって行動の体系が規範化される。ネコも機械、サルも機械、その挙句インディアンも黒人も機械だというような考え方につながってくる。

 

「役にたつ」かどうかがよく問われるようになった。しかし、この4、5年大学が独立行政法人化されたが何のよいこともない。大学は儲けなくてはいけないことになった。それを言い出すと「サンスクリット語を学んで何になるの?」ということになる。でもそうなると仏教の研究はどうするのか。一度研究の伝統を壊すと大変なことになる。これは中国の文化大革命の例を見ても明らかだ。

 

江戸川乱歩というと猟奇的だとかエログロだとかいったように考えられている。しかしこれも人間の文化のある局面なのである。合理性を求めて殺菌された中で育つと倒錯性を含んだ人間の文化というものがわからなくなる。このようなリスクも含め、乱歩のような文化も大切だ。文化が爛熟した生き人形というものが作られた。そういうものも人間のある部分を表していると理解しなくてはいけない。人間の文化はテクノクラートの計算でわかるものではない。彼らは「乱歩は子供に見せるべきでない」と言い出すかもしれない。でも美と醜いものは一緒だ。醜いもの恐ろしいものと一緒に触れるから美しいものがわかる。そういうことを大前提として次の世代に伝えていかなければならない。

 

ベルクソンと自然との距離

・ベルクソン哲学も、自然との距離設定、事実的連鎖の模写という学問規範とは微妙な距離設定を行なうというスタンスが底流に流れている。

 

ヒト的知識を読んで考えてもそれだけでは人間がこの世界に生きていることを説明できない。物理的時間と我々の内的な時間感覚とは異なっている。ベルクソンの「創造的進化」の第1章後半にはダーウィンとラマルクの進化論が取り上げられるが、両者は随分異なっている。

 

ある環境でいろいろな生物が生きていたときに急に平均気温が下がったとする。すると寒いと生きていけない個体は死んでしまい、寒くても生きていけるものの割合が高くなる。つまり生物フェイズがA→A’に変わったとき、たまたまの圧力によって生物がふるい分けられる。一方、ラマルクの考え方は全く異なる。どんどん寒くなると、生物ががんばる。あるものは暖かいほうへ逃げるし、あるものは毛を増やしたり甲羅を分厚くする。それがうまくいったものは生き残り、旨くいかないものは死んでしまう。ラマルクはもの自体に主体的ながんばりを認める。生物に自由と意欲を認める。このような考え方は現在では科学的・生物学的には認められていないが、ベルクソンの考え方はラマルクのほうに近い。

 

生物の神経系が「爆発」することによってどのように動いていくか予測できない。生物が存在するのは決定された空間のなかに自由と爆発物が存在しているのに等しい。社会的昆虫には本能で決められたことしかできない。それに対して人間は知性を持っていて複雑な神経系をもっていて、「爆発」するとどこへ行くかわからない。自由と同時に偶然性・予測不可能性が存在する。人間は自由なのかと問われると、根源的に自由だと考えられる。

 

人間の記憶はどこかに記憶されている。人間は何かを見ているようであって実は過去の風景画をおさらいしている。現在を見ているのだけれども、記憶によって現在をみるように過去を見ている。しかし未来は未来にひきずられているようで完全にはひきずられておらず、自由なのである。

 

20世紀の科学は集団活動によっていることが特徴だ。全体の知識が体系化されているわけではないが、参加する人間の人生のなかに非人間的な膨大な知識が生まれている。

 

こういうふうに見ればこうだよね。この条件節がなくなると政治的にどうなるのか。こういったことを考えつつ文化的な存在だと自覚して生きていくのがよい。

 

科学者によると、宇宙に向けていくらメッセージを送っても返事が返ってこないから、数万光年の範囲には高等生物はいないということだ。だから人間はすごく貴重な存在だ。宇宙も膨大なスペクトルを理解して欲しかったから人間を作ったのではないか。

 

(最近の若者についてどう思うかとの質問に対し)彼らは10代からコンピュータをさわっている。知的な能力については断絶があるが、ひょっとすると凄い人が出てくるかもしれない。
 

 



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平成22年度関西東大会新年祝賀会報告

s58法 安原 徹   (文)
s45農 藤田ひかる (画像)


伊藤元重教授講演記録



1.現在私が気にしている経済データはデフレギャップだ。デフレギャップとは、わが国の実際の需要が潜在供給量に比べて不足する額を意味する。これが35兆円〜40兆円あるといわれている。逆に、需要が潜在供給量を上回ることがインフレギャップといわれるもの。経済はこのデフレギャップとインフレギャップが交互に循環して現れるのが通常。
ところが日本ではここ20年間デフレギャップがドカッと腰を下ろした状態だ。1990年にバブルが崩壊し、92年からデフレギャップに突入した。2004年〜6年は世界経済が過熱して最も円安になった時期だが、この間だけは水面に出てきてデフレギャップは解消したが、その後再びデフレギャップが続いている。私はこれを「根雪のようなデフレギャップ」と呼んでいるが、そう簡単に解消するものではない。現在は、この状態を変えるべく日本の産業が大きく姿を変える前兆が現れてきた状況と考える。これはいい方向なのだが、悪い材料は政府内にあるのかもしれない。



デフレギャップが継続すると本当のデフレが起こる。デフレを解消するために国債を発行して中央銀行が買い上げればいいと言う人もいるが、これは無理な話だ。体温が下がっているときに、根本的な解消策を取ることなく、体温を上げるために口から熱湯を注ぐようなもので、無理な話だ。
今年の経済を予想すると、「これ以上悪くないだろう。二番底はないだろう。」と考える。基本的にこれ以上悪くならないだろうし、アジア諸国が良くなってきているからだ。もっともリスクとしては、現在中国が過熱しすぎていることと新政権の政策が挙げられる。
以前IMFは、リーマンショック前に「日本の経済は悪くなるだろう」と予想した。日本の評論家は皆反対したが、フタをあけて見るとやはり悪かった。輸出に頼っているため悪くなる。2010年についてIMFは上方に行くと言っている。日本国内には経済が良くなる要因があるし、近隣諸国が想像以上に良くなっているので恩恵を受けるからだ。例えば、ライオンは減収増益だ。国内は厳しいがアジアがのびている(ライオンは中国ではやっていない)。これが今の日本の経済の姿である。

2.閉塞感が漂う中で企業はどこに突破口を見出すか?私は3つあると思っている。
第一は、アジア進出。

第二は、国内での厳しいリストラ、構造改革。
第三は、医療、観光、健康、介護等新しい道に成長を託する
このような中で企業が生き残る方法はあまり多くない。3つ挙げると次のとおり。
(1)もっとがんばる。少しでもコストを下げて、少しでも売上を伸ばす。
(2)競争相手を消し去る。
・政治の例を見てほしい。

・サントリーとキリンは激しい競争を繰り返してきたが、合併したことで仲間になった。競争相手が減れば企業にとって良い状況になる。
・私の友人に着物ビジネスに携わっている者がいるが、ここ10年で競争相手がいなくたったという。厳しいビジネスは厳しいところは行きつくと競争相手がなくなる。
(3)他人と違うことをする。常に経営は一歩先を行かねばならない。
これ以外にも、本当は生き残る道はあるが、お勧めできない。これらは、おカミに助けてもらうというもの。もう一つは、やめてしまうこと。ボロボロになるまでがんばらなくてもいい。そうすると、日本の企業は上記の3つのどこにウェイトをおいてがんばるかを考えねばならない。

第一の突破口であるアジア進出については次のような例がある。
・ホンダは中国で2割以上売上を伸ばしたが、逆にシェアは減った。中国の自動車生産は4割の勢いで伸びているからだ。日本の企業は中国では出遅れている。トヨタも高級車から入りすぎてうまくいかない。
・これからはいかにがんばってたくさん作ってたくさん売るか。1960年代のDNAが大切だ。

・日本の企業がグローバル化する過程で、これまでは常に上を見てきた。常に欧米を見てきた。ところが10分の1の所得しかない中国で売るとなると、よりいいものを売るより、より安いものを適正価格で売ることが大切だ。
・これからは主に日本国内でやってきた企業、例えば、資生堂、日本ハム、ユニクロ、セコム、ベネッセといった会社がビジネスをアジアに広げていくことになるだろう。
・日本の生産労働人口は今後急速に減少する。少子高齢化のために人口減少は少しづつ減っていくが、65歳以下の生産労働人口は急速に減少する。石川県にキリンビールは工場を持っていたが、生産労働人口が減少することを見越して工場閉鎖した。キリンとサントリーのようにどこが早く強いところと手を組むかが課題となっている。
・現在アジアの中間所得層がものすごい勢いで伸びているのでこの方向は正しい選択だ。

第二に挙げた構造改革の問題は次のとおり。
・一番難しいのは国内で生きていこうとするとき、いろいろな産業で供給過剰になっていることだ。例えば、建築土木の分野は非常に需要が少ない。適正規模に供給が減らざるをえない。他には、日本には百貨店が非常に多い。明らかにオーバーカンパニー状態だ。スーパーもそれを支える卸もというように同じ状況だ。

・中小の製造業は日本の宝物だ。板金が日本の製造業を支えてきた。これが外国に移っていく。日本の会社の全部は生き残れない。
・それに政治が拍車をかける。自民党のやってきたことをみるとよくそこまで持たせたな

と思う。自民党は、問題先送りしてきた。その結果が今表に出てきている。民主党には自民党のような先送りをする能力はない。自民党がやってきた公共事業や中小企業支援で問題を先延ばしをすることはできない。でも先延ばしするより無能なほうがよい。日本経済はもう待ったなしの状態だ。その象徴がJALだ。
・JALは銀行がだましだまし生かせてきた会社だが、民主党があまりにもお粗末だから安直に会社更生法を申請した。JALを見ると日本の企業の問題点がよくわかる。例えば年金の問題。OBには4.5%の利回りが約束されているが、国債利回り1.5%の状況では企業が身を削ってOBを支えていることになる。その一方で、地上職員や整備職員の給与水準は低い。その意味では現場の人も被害者だ。また、更生法申請にあたりDIPファイナンスが必要となるが、米国ではDIPファイナンスには優先権が与えられるので銀行はカネをだすが、日本ではこのような仕組みがない。



・政権政党が民主党になってこういった問題がすべて表に出てきた。政府にこのような問題を先送りする能力がないからだ。でも問題がでてきたことで日本企業が転換点にあることがわかった。どうせいつかは通らなければならない道だからそれはそれでよかった。ただこれを切り抜けるために企業努力だけでは無理だろう。例えば、雇用制度の転換について。雇用制度は大きく分けて3通りある。
第一は、アメリカ型(市場経済型)。
第二は、日独型(企業共同体社会)。この特徴はなかなか従業員のクビを切れないこと。20ヶ月〜30ヶ月分の給与を上乗せしないとやめさせられない。こういう法制がある一方

で、政府は何もしてくれない。
第三は、北欧型(社会民主主義型)。スウェーデンやデンマークが典型。これらの国では最低賃金などはない。またいつでもクビにできる。全員が非正規雇用のようなものだ。その代り国や地方政府が徹底的に面倒を見る。
これら3つのなかでどれがよいかは一概には決められない。米国は市場経済型を選択

した。共同体型と北欧型についてはどちらにもそれぞれ良さがある。日独型の問題はインサイダーとアウトサイダーが分かれることだ。つまり一旦雇ったら最後までしがみつかれる。その一方で、大卒の未就職率が30%という。インサイダーにとってはいいけれども、アウトサイダーには厳しい社会だ。このような共同体型は衰退から企業を伸ばしていくためには困難が生じる。だから、企業がもう少し自由に労働者を入れ替えることができるような雇用制度が必要だ。政府がこの部分にどうかかわっていくのか、今まさに崖っぷちに立たされている。

第三に挙げた新分野への進出については次のとおり。
・企業が伸びていく分野はあるのか、それに対する政府の関わり方はどうあるべきか。セイの法則によると、マクロでは需要と供給は等しくなるはずだ。現在需要が表に見えてこないのであれば、それは政策が悪い。医療、健康、高齢者、介護、観光、環境、21世紀型都市創造等の分野が考えられる。ただこれら伸ばすためには政府が大胆に関わっていかなければダメだ。
・例えば、環境分野については1990年に世界はCO2削減目標で合意した。これに関しては日本の森林だけで3.8%のCO2削減が可能だ。それならば中国から排出権を購入するよりも、日本で森林整備をやった方がよいことになる。
また、観光については、2000年の外国人観光客は300〜350万人。2年前には800万人。

倍になって今は1割落ちた状態だ。まだまだ観光分野では日本に可能性がある。成田空港には3つの欠点があると言われている。一つは都心から遠いこと。二つ目は国内のハブ空港である羽田と離れていること。三つ目は深夜早朝に飛べないこと。羽田の第二滑走路が使えるように制度が変わると、羽田はものすごい勢いで変わっていく。関西も伊丹、関空、神戸というよりも24時間フル稼働できるのはどこかと考えるべきだ。
  日本の観光産業で熱心な地方は九州だ。九州にアジアの観光客を呼び込むためにタダで10万円の地域振興券を配るという。知恵を絞ると前と違った新しい産業が出てくる可能性がある。




以上3つ挙げたなかで政府に期待するのは第二の雇用制度問題と第三の新規産業分野育成だ。第一の外国進出は企業の姿勢の問題であって政府とは無関係だ。つまり年金と雇用制度、加えて倒産法制。また新しい産業分野の創出。これらをどうやって作っていくか。手っ取り早くやるには増税しかない。


3.日本の財政支出は惨憺たるものだ。医療と研究は先進国中最低レベル。一方我々が払っている税金も最低レベルだ。低い税金負担のなかから子ども手当、ガソリン暫定税率廃止、高校無償化をやるとあと何ができるのか。うまくいくわけがない。50兆円増税してどぶに捨てたら経済は落ち込んでしまう。税を使ったのなら景気が良くなるようにしなければならない。もっともこの点については経済学者の間で意見が割れている。つまり財政支出しても国民は増税を見込んで貯蓄するから景気は変わらないという考え方と国民は目先しか考えないから多少はよくなるという考え方だ。だったら50兆円増税して40兆円使って10兆円を国債償還に回せばよい。

結局のところ日本が豊かになるためには国民が時代にあった増税を受け入れるしかないと考える。日本企業の課題は、外国進出、体質調整、新分野だが、私は楽観的だ。日本の政治はこれ以上悪くならないと考えるからだ。

質疑応答
(問)日本の学生の気力についてどう感じるか。
(答)「坂の上の雲」を見て思うのだが当時は弱小国で強い気概をもった時代だった。これは今の若者にはない。しかし楽しみな人材はいる。例えば外資系に就職して自分の力を試そうとする者。またこれだけ叩かれても役所に行って頑張ろうという者もいる。多様な人材が出てきている。また女性が元気だ。眠った人材を掘り起こしていく必要がある。

(問)所得税の累進性を弱めたことが日本の問題だと考えるが如何。
(答)先進国で所得税の累進性を採る国は少ない。社会民主国では税で所得再配分することはない。例えばスウェーデンの中央所得税は30%フラットだ。これに消費税が加わる。フラットに税を取られるが、弱者は徹底的にサービスを受ける。たとえ障害者であっても所得税を払う。30%払うことによって堂々とサービスを受ける。金持ちから分捕って貧しい人に配るというのは節操がない。所得税をフラットにして徹底した社会保障をするという構造だ。日本の終身雇用制度はそれなりに出世する人にとっては良い制度だった。でもこれではベンチャーが育たない。累進税率だと新しいことをやって稼いでも税金で持っていかれるからやる人がいなくなる。富の再配分を税でやるのではなく社会保

障でやるという方向が望ましい。
ところで税については所得に課税するのか資産に課税するのかという大きな問題がある。例えば農家でまじめにやって所得があがると税で持っていかれる。サボっても土地には税がかからない。これでいいのか。また中小企業の息子が事業を承継したときには所得に課税するより資産に課税する方がよいのではないか。こういった難しい問題があるが、国民の間には増税を受け入れる気概がない。痛みを伴う税制改革は社会が痛い目に会わないとできないのかもしれない。政府の借金の額の多さは、ジンバブエ、日本、レバノン、スーダン、イタリア、ジャマイカといった順だが、日本の借金は国民が貯金したカネで銀行が国債を買ってくれているから回っている。でもいつかはほころびが来る。おおかみ少年と言われるがいつかは来る。でも日本はジンバブエとは違う。だから増税を受け入れる気概が出てくることを期待する。

以上





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