「ベルクソンと生命の形而上学」(金森修教授講演記録)

s48法 安原 徹

講師:東京大学教育学部 金森修教授

日時:平成22年8月7日 14時〜16時

場所:大阪電気倶楽部

要旨:以下のとおり。なお、罫線内は先生が講義に際しパワーポイントで示されたもの。

 

ヒトと人

・ヒトは、自然科学的な対象としての人間

・〈文化〉的な存在として生きる人

・人は、ヒトであるにもかかわらず、ただそれだけではなく、ヒトから若干乖離したものとして生き、そのような自己理解をする。

・〈自然〉と〈文化〉との間の差異・緊張感

 

我々は生物学的存在であるとともに、単なる生物的存在から乖離したものとして存在する。生物学的・医学的に調べていっても我々が10万年くらい生きている「人間」としての存在を連続的に理解することはできない。

ヒト・・・・自然の一部

人・・・文化の中で生きている文化的な存在


「人」とは自然の地平と見分けがつかないのではなく、そこから離れている存在。その意味で自然から切り離されているから「不自然」」である。つまり自然から乖離した文化的存在として、芸術や科学を作りながら生きている。

 

ヒトと人

・誕生、死、女性の出産などの局面で、人は誰でもヒトとして生きることもある。

・にもかかわらず、普段の人はヒト的なあり方からは若干乖離した形式・様式の中で生きている。

 

出産のあり方は地域・文化・時代によって異なっている。また死についても、いつ死ぬか、どういう風に死ぬか等地域・時代によって多様な様式がある。

例えば、中世ヨーロッパの人々は、自分が死ぬことの予兆を見た(象徴的なものを見る)。自分はお迎えが近いと感じたという。そこで友人を呼んで挨拶をし、神父を呼んで罪を告白し、儀式をして安心して死んでいったという。また火葬はしない(これは生き返るから)。また事故死や突然死は、死に至る準備をしてから死ぬことができないので嫌われた。これが当時の死に対する文化であった。
 

死そのものはヒトにとって単なる事実である。しかしどういう死なら許され、どういう死なら許されないかは文化である。例えば行き倒れがよそ者が河原で死んだりすると埋葬しないで放っておく。すると亡くなった人がだんだん崩壊して白骨になる。観察事実としてはこの通りである。我々の先祖は犬に食われる死体を見ていたかもしれない。これが死者に対する文化的なあり方の違いである。

  

或る意味で、古典的な人間観

・ヒトの自己理解の精緻化に伴う、古典的人間観の表面上の衰退

・しかしそれは、本当の意味では衰退していないし、衰退しているという自己了解自身が、自分自身の重要性の過小評価に繋がる。

・人>ヒト 本来はそう その自覚が大切

 

昔の人間も我々も根源的には同じ。だから昔の偉大な人物の言葉は、根源的な条件にふれるものは今でも重要だ。現代のように人間が揺れているときには声を大にしていうべき。

 

小さい、しかし極めて重要な空隙

・愛≠生殖

・愛は人の行為で、生殖はそのヒト的な換言といってもいい。いずれにせよ、愛を生殖に還元することはできない。

 

小さい、しかし極めて重要な空隙

・前の事例とは異なる位相ながら

・勇気≠無謀さ、暴力

・慎み≠臆病、消極性

・両者は共に、人的な次元での価値的上下関係の構築、異質性の導入

・文化:価値 それと相即する反・価値

 

美しいということは逆に醜いものがあるということだ。我々は価値的な上下のもとで文化的な行動をしている。そしてそれが最高の価値になるものであるなら、それをするために経済活動を行う。経済活動を行うと世の中は活発で華やかなものになる。一方、私はマルキシズムは大嫌いだ。16世紀から19世紀にかけて世界中のインテリが考えたユートピアは大部分が社会主義・共産主義だ。それを実際に実験したのが20世紀のソビエトであり北朝鮮であった。正直に言ってこれはろくなものでない。何がいけないのか?まず、天才でないと計画経済などというものはできないということ。そしてそれを実際に取り決めるのは特権階級であること。国民にとってはいくら仕事をしようがしないでいようが一緒なのでがんばろうという気にならないこと。人間のポテンシャルが活かされないからおもしろくない。それ考えると経済もリベラルなほうがよい。

 今若者と話をするとカネを持っていない者が多い。個人の才覚、個人の経済活動が個人に戻るような社会がよいのではないか。もちろん極端なものは排除しなければならない。またカネを集めることだけが目的ではない。

  

生物学的な知見が進み動物としての起源がわかってきても、「結局人間ってこれだよね」などと考えないことが重要だ。人間は言い換えるとこういった動物だけれども、両者は一緒ではない。ダーウィンは、人間は調べれば調べるほど動物だと言った。しかし文化は動物からは出てこない。ここには宗教の持つ根源に触れるものがあるように思う。そういう意味で宗教は文化の背骨の一つだと思う。

 

デカルトは、人間の精神と体の距離を最大化した。つまり、動物には精神がないと考えた。これは文化史的には重要だ。つまり人間以外の動物はロボットのようなもので、人間だけが別物だ。このような考え方を思想として作った。ところが思想は机上のものに留まらない。人々はネコが単なるロボットに見えてくる。するとそのことが行動にも現れてくる。思想によって行動の体系が規範化される。ネコも機械、サルも機械、その挙句インディアンも黒人も機械だというような考え方につながってくる。

 

「役にたつ」かどうかがよく問われるようになった。しかし、この4、5年大学が独立行政法人化されたが何のよいこともない。大学は儲けなくてはいけないことになった。それを言い出すと「サンスクリット語を学んで何になるの?」ということになる。でもそうなると仏教の研究はどうするのか。一度研究の伝統を壊すと大変なことになる。これは中国の文化大革命の例を見ても明らかだ。

 

江戸川乱歩というと猟奇的だとかエログロだとかいったように考えられている。しかしこれも人間の文化のある局面なのである。合理性を求めて殺菌された中で育つと倒錯性を含んだ人間の文化というものがわからなくなる。このようなリスクも含め、乱歩のような文化も大切だ。文化が爛熟した生き人形というものが作られた。そういうものも人間のある部分を表していると理解しなくてはいけない。人間の文化はテクノクラートの計算でわかるものではない。彼らは「乱歩は子供に見せるべきでない」と言い出すかもしれない。でも美と醜いものは一緒だ。醜いもの恐ろしいものと一緒に触れるから美しいものがわかる。そういうことを大前提として次の世代に伝えていかなければならない。

 

ベルクソンと自然との距離

・ベルクソン哲学も、自然との距離設定、事実的連鎖の模写という学問規範とは微妙な距離設定を行なうというスタンスが底流に流れている。

 

ヒト的知識を読んで考えてもそれだけでは人間がこの世界に生きていることを説明できない。物理的時間と我々の内的な時間感覚とは異なっている。ベルクソンの「創造的進化」の第1章後半にはダーウィンとラマルクの進化論が取り上げられるが、両者は随分異なっている。

 

ある環境でいろいろな生物が生きていたときに急に平均気温が下がったとする。すると寒いと生きていけない個体は死んでしまい、寒くても生きていけるものの割合が高くなる。つまり生物フェイズがA→A’に変わったとき、たまたまの圧力によって生物がふるい分けられる。一方、ラマルクの考え方は全く異なる。どんどん寒くなると、生物ががんばる。あるものは暖かいほうへ逃げるし、あるものは毛を増やしたり甲羅を分厚くする。それがうまくいったものは生き残り、旨くいかないものは死んでしまう。ラマルクはもの自体に主体的ながんばりを認める。生物に自由と意欲を認める。このような考え方は現在では科学的・生物学的には認められていないが、ベルクソンの考え方はラマルクのほうに近い。

 

生物の神経系が「爆発」することによってどのように動いていくか予測できない。生物が存在するのは決定された空間のなかに自由と爆発物が存在しているのに等しい。社会的昆虫には本能で決められたことしかできない。それに対して人間は知性を持っていて複雑な神経系をもっていて、「爆発」するとどこへ行くかわからない。自由と同時に偶然性・予測不可能性が存在する。人間は自由なのかと問われると、根源的に自由だと考えられる。

 

人間の記憶はどこかに記憶されている。人間は何かを見ているようであって実は過去の風景画をおさらいしている。現在を見ているのだけれども、記憶によって現在をみるように過去を見ている。しかし未来は未来にひきずられているようで完全にはひきずられておらず、自由なのである。

 

20世紀の科学は集団活動によっていることが特徴だ。全体の知識が体系化されているわけではないが、参加する人間の人生のなかに非人間的な膨大な知識が生まれている。

 

こういうふうに見ればこうだよね。この条件節がなくなると政治的にどうなるのか。こういったことを考えつつ文化的な存在だと自覚して生きていくのがよい。

 

科学者によると、宇宙に向けていくらメッセージを送っても返事が返ってこないから、数万光年の範囲には高等生物はいないということだ。だから人間はすごく貴重な存在だ。宇宙も膨大なスペクトルを理解して欲しかったから人間を作ったのではないか。

 

(最近の若者についてどう思うかとの質問に対し)彼らは10代からコンピュータをさわっている。知的な能力については断絶があるが、ひょっとすると凄い人が出てくるかもしれない。
 

 



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平成22年度関西東大会新年祝賀会報告

s58法 安原 徹   (文)
s45農 藤田ひかる (画像)


伊藤元重教授講演記録



1.現在私が気にしている経済データはデフレギャップだ。デフレギャップとは、わが国の実際の需要が潜在供給量に比べて不足する額を意味する。これが35兆円〜40兆円あるといわれている。逆に、需要が潜在供給量を上回ることがインフレギャップといわれるもの。経済はこのデフレギャップとインフレギャップが交互に循環して現れるのが通常。
ところが日本ではここ20年間デフレギャップがドカッと腰を下ろした状態だ。1990年にバブルが崩壊し、92年からデフレギャップに突入した。2004年〜6年は世界経済が過熱して最も円安になった時期だが、この間だけは水面に出てきてデフレギャップは解消したが、その後再びデフレギャップが続いている。私はこれを「根雪のようなデフレギャップ」と呼んでいるが、そう簡単に解消するものではない。現在は、この状態を変えるべく日本の産業が大きく姿を変える前兆が現れてきた状況と考える。これはいい方向なのだが、悪い材料は政府内にあるのかもしれない。



デフレギャップが継続すると本当のデフレが起こる。デフレを解消するために国債を発行して中央銀行が買い上げればいいと言う人もいるが、これは無理な話だ。体温が下がっているときに、根本的な解消策を取ることなく、体温を上げるために口から熱湯を注ぐようなもので、無理な話だ。
今年の経済を予想すると、「これ以上悪くないだろう。二番底はないだろう。」と考える。基本的にこれ以上悪くならないだろうし、アジア諸国が良くなってきているからだ。もっともリスクとしては、現在中国が過熱しすぎていることと新政権の政策が挙げられる。
以前IMFは、リーマンショック前に「日本の経済は悪くなるだろう」と予想した。日本の評論家は皆反対したが、フタをあけて見るとやはり悪かった。輸出に頼っているため悪くなる。2010年についてIMFは上方に行くと言っている。日本国内には経済が良くなる要因があるし、近隣諸国が想像以上に良くなっているので恩恵を受けるからだ。例えば、ライオンは減収増益だ。国内は厳しいがアジアがのびている(ライオンは中国ではやっていない)。これが今の日本の経済の姿である。

2.閉塞感が漂う中で企業はどこに突破口を見出すか?私は3つあると思っている。
第一は、アジア進出。

第二は、国内での厳しいリストラ、構造改革。
第三は、医療、観光、健康、介護等新しい道に成長を託する
このような中で企業が生き残る方法はあまり多くない。3つ挙げると次のとおり。
(1)もっとがんばる。少しでもコストを下げて、少しでも売上を伸ばす。
(2)競争相手を消し去る。
・政治の例を見てほしい。

・サントリーとキリンは激しい競争を繰り返してきたが、合併したことで仲間になった。競争相手が減れば企業にとって良い状況になる。
・私の友人に着物ビジネスに携わっている者がいるが、ここ10年で競争相手がいなくたったという。厳しいビジネスは厳しいところは行きつくと競争相手がなくなる。
(3)他人と違うことをする。常に経営は一歩先を行かねばならない。
これ以外にも、本当は生き残る道はあるが、お勧めできない。これらは、おカミに助けてもらうというもの。もう一つは、やめてしまうこと。ボロボロになるまでがんばらなくてもいい。そうすると、日本の企業は上記の3つのどこにウェイトをおいてがんばるかを考えねばならない。

第一の突破口であるアジア進出については次のような例がある。
・ホンダは中国で2割以上売上を伸ばしたが、逆にシェアは減った。中国の自動車生産は4割の勢いで伸びているからだ。日本の企業は中国では出遅れている。トヨタも高級車から入りすぎてうまくいかない。
・これからはいかにがんばってたくさん作ってたくさん売るか。1960年代のDNAが大切だ。

・日本の企業がグローバル化する過程で、これまでは常に上を見てきた。常に欧米を見てきた。ところが10分の1の所得しかない中国で売るとなると、よりいいものを売るより、より安いものを適正価格で売ることが大切だ。
・これからは主に日本国内でやってきた企業、例えば、資生堂、日本ハム、ユニクロ、セコム、ベネッセといった会社がビジネスをアジアに広げていくことになるだろう。
・日本の生産労働人口は今後急速に減少する。少子高齢化のために人口減少は少しづつ減っていくが、65歳以下の生産労働人口は急速に減少する。石川県にキリンビールは工場を持っていたが、生産労働人口が減少することを見越して工場閉鎖した。キリンとサントリーのようにどこが早く強いところと手を組むかが課題となっている。
・現在アジアの中間所得層がものすごい勢いで伸びているのでこの方向は正しい選択だ。

第二に挙げた構造改革の問題は次のとおり。
・一番難しいのは国内で生きていこうとするとき、いろいろな産業で供給過剰になっていることだ。例えば、建築土木の分野は非常に需要が少ない。適正規模に供給が減らざるをえない。他には、日本には百貨店が非常に多い。明らかにオーバーカンパニー状態だ。スーパーもそれを支える卸もというように同じ状況だ。

・中小の製造業は日本の宝物だ。板金が日本の製造業を支えてきた。これが外国に移っていく。日本の会社の全部は生き残れない。
・それに政治が拍車をかける。自民党のやってきたことをみるとよくそこまで持たせたな

と思う。自民党は、問題先送りしてきた。その結果が今表に出てきている。民主党には自民党のような先送りをする能力はない。自民党がやってきた公共事業や中小企業支援で問題を先延ばしをすることはできない。でも先延ばしするより無能なほうがよい。日本経済はもう待ったなしの状態だ。その象徴がJALだ。
・JALは銀行がだましだまし生かせてきた会社だが、民主党があまりにもお粗末だから安直に会社更生法を申請した。JALを見ると日本の企業の問題点がよくわかる。例えば年金の問題。OBには4.5%の利回りが約束されているが、国債利回り1.5%の状況では企業が身を削ってOBを支えていることになる。その一方で、地上職員や整備職員の給与水準は低い。その意味では現場の人も被害者だ。また、更生法申請にあたりDIPファイナンスが必要となるが、米国ではDIPファイナンスには優先権が与えられるので銀行はカネをだすが、日本ではこのような仕組みがない。



・政権政党が民主党になってこういった問題がすべて表に出てきた。政府にこのような問題を先送りする能力がないからだ。でも問題がでてきたことで日本企業が転換点にあることがわかった。どうせいつかは通らなければならない道だからそれはそれでよかった。ただこれを切り抜けるために企業努力だけでは無理だろう。例えば、雇用制度の転換について。雇用制度は大きく分けて3通りある。
第一は、アメリカ型(市場経済型)。
第二は、日独型(企業共同体社会)。この特徴はなかなか従業員のクビを切れないこと。20ヶ月〜30ヶ月分の給与を上乗せしないとやめさせられない。こういう法制がある一方

で、政府は何もしてくれない。
第三は、北欧型(社会民主主義型)。スウェーデンやデンマークが典型。これらの国では最低賃金などはない。またいつでもクビにできる。全員が非正規雇用のようなものだ。その代り国や地方政府が徹底的に面倒を見る。
これら3つのなかでどれがよいかは一概には決められない。米国は市場経済型を選択

した。共同体型と北欧型についてはどちらにもそれぞれ良さがある。日独型の問題はインサイダーとアウトサイダーが分かれることだ。つまり一旦雇ったら最後までしがみつかれる。その一方で、大卒の未就職率が30%という。インサイダーにとってはいいけれども、アウトサイダーには厳しい社会だ。このような共同体型は衰退から企業を伸ばしていくためには困難が生じる。だから、企業がもう少し自由に労働者を入れ替えることができるような雇用制度が必要だ。政府がこの部分にどうかかわっていくのか、今まさに崖っぷちに立たされている。

第三に挙げた新分野への進出については次のとおり。
・企業が伸びていく分野はあるのか、それに対する政府の関わり方はどうあるべきか。セイの法則によると、マクロでは需要と供給は等しくなるはずだ。現在需要が表に見えてこないのであれば、それは政策が悪い。医療、健康、高齢者、介護、観光、環境、21世紀型都市創造等の分野が考えられる。ただこれら伸ばすためには政府が大胆に関わっていかなければダメだ。
・例えば、環境分野については1990年に世界はCO2削減目標で合意した。これに関しては日本の森林だけで3.8%のCO2削減が可能だ。それならば中国から排出権を購入するよりも、日本で森林整備をやった方がよいことになる。
また、観光については、2000年の外国人観光客は300〜350万人。2年前には800万人。

倍になって今は1割落ちた状態だ。まだまだ観光分野では日本に可能性がある。成田空港には3つの欠点があると言われている。一つは都心から遠いこと。二つ目は国内のハブ空港である羽田と離れていること。三つ目は深夜早朝に飛べないこと。羽田の第二滑走路が使えるように制度が変わると、羽田はものすごい勢いで変わっていく。関西も伊丹、関空、神戸というよりも24時間フル稼働できるのはどこかと考えるべきだ。
  日本の観光産業で熱心な地方は九州だ。九州にアジアの観光客を呼び込むためにタダで10万円の地域振興券を配るという。知恵を絞ると前と違った新しい産業が出てくる可能性がある。




以上3つ挙げたなかで政府に期待するのは第二の雇用制度問題と第三の新規産業分野育成だ。第一の外国進出は企業の姿勢の問題であって政府とは無関係だ。つまり年金と雇用制度、加えて倒産法制。また新しい産業分野の創出。これらをどうやって作っていくか。手っ取り早くやるには増税しかない。


3.日本の財政支出は惨憺たるものだ。医療と研究は先進国中最低レベル。一方我々が払っている税金も最低レベルだ。低い税金負担のなかから子ども手当、ガソリン暫定税率廃止、高校無償化をやるとあと何ができるのか。うまくいくわけがない。50兆円増税してどぶに捨てたら経済は落ち込んでしまう。税を使ったのなら景気が良くなるようにしなければならない。もっともこの点については経済学者の間で意見が割れている。つまり財政支出しても国民は増税を見込んで貯蓄するから景気は変わらないという考え方と国民は目先しか考えないから多少はよくなるという考え方だ。だったら50兆円増税して40兆円使って10兆円を国債償還に回せばよい。

結局のところ日本が豊かになるためには国民が時代にあった増税を受け入れるしかないと考える。日本企業の課題は、外国進出、体質調整、新分野だが、私は楽観的だ。日本の政治はこれ以上悪くならないと考えるからだ。

質疑応答
(問)日本の学生の気力についてどう感じるか。
(答)「坂の上の雲」を見て思うのだが当時は弱小国で強い気概をもった時代だった。これは今の若者にはない。しかし楽しみな人材はいる。例えば外資系に就職して自分の力を試そうとする者。またこれだけ叩かれても役所に行って頑張ろうという者もいる。多様な人材が出てきている。また女性が元気だ。眠った人材を掘り起こしていく必要がある。

(問)所得税の累進性を弱めたことが日本の問題だと考えるが如何。
(答)先進国で所得税の累進性を採る国は少ない。社会民主国では税で所得再配分することはない。例えばスウェーデンの中央所得税は30%フラットだ。これに消費税が加わる。フラットに税を取られるが、弱者は徹底的にサービスを受ける。たとえ障害者であっても所得税を払う。30%払うことによって堂々とサービスを受ける。金持ちから分捕って貧しい人に配るというのは節操がない。所得税をフラットにして徹底した社会保障をするという構造だ。日本の終身雇用制度はそれなりに出世する人にとっては良い制度だった。でもこれではベンチャーが育たない。累進税率だと新しいことをやって稼いでも税金で持っていかれるからやる人がいなくなる。富の再配分を税でやるのではなく社会保

障でやるという方向が望ましい。
ところで税については所得に課税するのか資産に課税するのかという大きな問題がある。例えば農家でまじめにやって所得があがると税で持っていかれる。サボっても土地には税がかからない。これでいいのか。また中小企業の息子が事業を承継したときには所得に課税するより資産に課税する方がよいのではないか。こういった難しい問題があるが、国民の間には増税を受け入れる気概がない。痛みを伴う税制改革は社会が痛い目に会わないとできないのかもしれない。政府の借金の額の多さは、ジンバブエ、日本、レバノン、スーダン、イタリア、ジャマイカといった順だが、日本の借金は国民が貯金したカネで銀行が国債を買ってくれているから回っている。でもいつかはほころびが来る。おおかみ少年と言われるがいつかは来る。でも日本はジンバブエとは違う。だから増税を受け入れる気概が出てくることを期待する。

以上





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春の 「男も料理教室」 報告

s38法 平崎 雄晤



いつものように 5月17日 ホテルグランヴィア大阪の 「フルーヴ」 にて 開催されました。 会員の方の中には 名前から判断して 自分で料理をしなければならないのではないかと危惧しておられる方もあるやに お聞きしておりますが 決してそのようなものではなく ホテルの料理長が料理をす るのを見学し 料理を賞味しようと
言うものであり 又 「男も」と言うのも 男性に限ったものではありません。(男でも少しは 料理に関心を持てよ と言う意味です)

今回は 総勢15名 (五組のカップルと 5名の方々)と 最近は高齢化によるものか参加者が少なくなっている事が気になります。(最初の頃は大人気で 先着30名と言うのが 直ぐに一杯になってしまったくらいです)

先ずは 教室と言う事で 今回は 「ポテトのニョッキとグリーンアスパラガス グラタン仕立て」 の実演を見た後に 試食をし こんな簡単で美味しいので 早速家に帰ったら作ってみようと 大好評でした。

料理は どれも このレストランのメニューにはなく 東大会のために特別に 旬のものを考慮して 作っていただいたものですが 最初は ドイツ人ならこの季節のものには狂ってしまうと言われるくらいの 旬のホワイトアスパラガス です。 通常の ホランデーズソース だけではなく 此れに 季節の桜海老を散ら しており 日本のよさも忘れない心遣いです。
天然鯛のキルシュ風味のマリエールソースは パリパリと食感の楽しめる焼けた皮と新鮮な鯛の風味を 貝類が入ったコクノあるマリエールソース が引き立ててくれます。
メインの 子羊のローストは 今度はバスク風のピーマンの入ったソースとこれまた斬新なもので 此れを 宮崎の知事さんもいつも宣伝している 宮崎完熟マンゴーノテリーヌのデザートで 締めくくりました。
チリ産の シャルドネ(白)とピノノワール(赤) が 料理を盛り立ててくれたのは勿論です。

今回も 若手の 平成7年(法)の渋谷さんが企画していただきましたが 次回は もっと若手の方々も 奥様孝行したいとヒソカに思っておられる向きも 是非ご参加ください。

次回は 11月1日(月) 秋の目玉でもある 「きのこ」を中心とした料理の予定です。
(料理は勿論 きのこ入りのパンもいつも好評です)

若干 料理の勉強も出来て 美味しい料理を楽しみつつ 楽しい会話の時に 皆様も是非ご参加ください。

関西東大会2月例会(中世軍記物語講座)参加報告

s47農 白井 俊和
掲題会が下記要領にて開催されました。


日時:2010年2月10日(水)18:00〜20:30(食事と講義・ 質疑応答)
場所:(社)中央電気倶楽部
演題:「木曾義仲をめぐる人々―主従の絆―」
講師:山内(やまのうち)潤三(中国)西北大学名誉教授・元武庫川
女子大学教授 (1925年7月11日生)



≪内容≫
総合司会:沖野事務局長
講師紹介:並木大阪京大クラブ世話役
挨  拶:小池関西東大会副会長

鎌倉時代に書き上げられた『平家物語』は源平の栄枯盛衰と、没落し始めた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの人間模様を流麗な和漢混淆文で描いた作品であり、広く人口に膾炙する「祇園精舎の鐘の声・・・」で始まりますが、今回の講義は第6巻から9巻までの膨大な出来事を限られた時間で分かりやすく濃密になされたものでした。

義仲は信濃源氏の武将で義賢と遊女小枝御前の間に生まれ、頼朝・義経とは従兄弟に当たります。征東大将軍となって、10日後に頼朝が送った義経の軍勢により、近江の国粟津の地で討たれます。享年はわずか31歳でした。山内先生のお言葉を借りますと、“武人として優れていながら、田舎育ちの為か都住まいの人たちの教養・知識が無く、粗野な人物“として扱われ、“政治力無く、運不運の移りが激しい人物で哀れ”と表現されます。

因みに、義仲の墓所は朝日山義仲寺(滋賀県大津市)にありますが、俳人松尾芭蕉は義仲の哀れむべき生涯に思いを寄せ、生前から義仲の隣に葬って欲しいと言っていたものでした。

さて、今講義の圧巻は何と言っても、物語・資料の書き手がまるで憑依したかのような山内先生の臨場感溢れる情熱的な語り口でした。大好きな古文を本当に楽しんで講じておられるのがひしひしと聴き手に伝わってきて心地の良いものでした。

何箇所もありましたが、ここでは紙数の関係から義仲最期近くの資料原文(一部書き換え・省略)を記してみます。愛妾・武人といわれる巴御前について語られた部分です。

木曾殿は信濃より、巴・やまぶきとて、二人の美女を具せられたり。・・・
中にも巴は色白く髪長くして、容顔まことに美麗なり。・・・弓矢・打ち物取っては如何なる鬼にも神にもあふといふ一人当千のつはものなり。・・・度々の高名、肩を並ぶる者なし。されば多くの者ども落ちうせ討たれける中に、七騎がうちまでも巴は討たれざりけり。

85才になんなんとするお歳を全く感じさせないお話しぶりで、今後も色々な分野でお元気に活躍され、100才になられても カクシャクとしておられるだろうと予感したものです。

以上





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関西東大会1月例会報告

s58法 安原 徹(文)
s45農 藤田ひかる (画像)



伊藤元重教授講演記録



1.現在私が気にしている経済データはデフレギャップだ。デフレギャップとは、わが国の実際の需要が潜在供給量に比べて不足する額を意味する。これが35兆円〜40兆円あるといわれている。逆に、需要が潜在供給量を上回ることがインフレギャップといわれるもの。経済はこのデフレギャップとインフレギャップが交互に循環して現れるのが通常。

ところが日本ではここ20年間デフレギャップがドカッと腰を下ろした状態だ。1990年にバブルが崩壊し、92年からデフレギャップに突入した。2004年〜6年は世界経済が過熱して最も円安になった時期だが、この間だけは水面に出てきてデフレギャップは解消したが、その後再びデフレギャップが続いている。私はこれを「根雪のようなデフレギャップ」と呼んでいるが、そう簡単に解消するものではない。現在は、この状態を変えるべく日本の産業が大きく姿を変える前兆が現れてきた状況と考える。これはいい方向なのだが、悪い材料は政府内にあるのかもしれない。

デフレギャップが継続すると本当のデフレが起こる。デフレを解消するために国債を発行して中央銀行が買い上げればいいと言う人もいるが、これは無理な話だ。体温が下がっているときに、根本的な解消策を取ることなく、体温を上げるために口から熱湯を注ぐようなもので、無理な話だ。
今年の経済を予想すると、「これ以上悪くないだろう。二番底はないだろう。」と考える。基本的にこれ以上悪くならないだろうし、アジア諸国が良くなってきているからだ。もっともリスクとしては、現在中国が過熱しすぎていることと新政権の政策が挙げられる。
以前IMFは、リーマンショック前に「日本の経済は悪くなるだろう」と予想した。日本の評論家は皆反対したが、フタをあけて見るとやはり悪かった。輸出に頼っているため悪くなる。2010年についてIMFは上方に行くと言っている。日本国内には経済が良くなる要因があるし、近隣諸国が想像以上に良くなっているので恩恵を受けるからだ。例えば、ライオンは減収増益だ。国内は厳しいがアジアがのびている(ライオンは中国ではやっていない)。これが今の日本の経済の姿である。

2.閉塞感が漂う中で企業はどこに突破口を見出すか?私は3つあると思っている。
第一は、アジア進出。

第二は、国内での厳しいリストラ、構造改革。

第三は、医療、観光、健康、介護等新しい道に成長を託する

このような中で企業が生き残る方法はあまり多くない。3つ挙げると次のとおり。

(1)もっとがんばる。少しでもコストを下げて、少しでも売上を伸ばす。

(2)競争相手を消し去る。
・政治の例を見てほしい。

・サントリーとキリンは激しい競争を繰り返してきたが、合併したことで仲間になった。競争相手が減れば企業にとって良い状況になる。
・私の友人に着物ビジネスに携わっている者がいるが、ここ10年で競争相手がいなくたったという。厳しいビジネスは厳しいところは行きつくと競争相手がなくなる。

(3)他人と違うことをする。常に経営は一歩先を行かねばならない。
これ以外にも、本当は生き残る道はあるが、お勧めできない。これらは、おカミに助けてもらうというもの。もう一つは、やめてしまうこと。ボロボロになるまでがんばらなくてもいい。そうすると、日本の企業は上記の3つのどこにウェイトをおいてがんばるかを考えねばならない。

第一の突破口であるアジア進出については次のような例がある。
・ホンダは中国で2割以上売上を伸ばしたが、逆にシェアは減った。中国の自動車生産は4割の勢いで伸びているからだ。日本の企業は中国では出遅れている。トヨタも高級車から入りすぎてうまくいかない。
・これからはいかにがんばってたくさん作ってたくさん売るか。1960年代のDNAが大切だ。

・日本の企業がグローバル化する過程で、これまでは常に上を見てきた。常に欧米を見てきた。ところが10分の1の所得しかない中国で売るとなると、よりいいものを売るより、より安いものを適正価格で売ることが大切だ。
・これからは主に日本国内でやってきた企業、例えば、資生堂、日本ハム、ユニクロ、セコム、ベネッセといった会社がビジネスをアジアに広げていくことになるだろう。
・日本の生産労働人口は今後急速に減少する。少子高齢化のために人口減少は少しづつ減っていくが、65歳以下の生産労働人口は急速に減少する。石川県にキリンビールは工場を持っていたが、生産労働人口が減少することを見越して工場閉鎖した。キリンとサントリーのようにどこが早く強いところと手を組むかが課題となっている。
・現在アジアの中間所得層がものすごい勢いで伸びているのでこの方向は正しい選択だ。

第二に挙げた構造改革の問題は次のとおり。
・一番難しいのは国内で生きていこうとするとき、いろいろな産業で供給過剰になっていることだ。例えば、建築土木の分野は非常に需要が少ない。適正規模に供給が減らざるをえない。他には、日本には百貨店が非常に多い。明らかにオーバーカンパニー状態だ。スーパーもそれを支える卸もというように同じ状況だ。

・中小の製造業は日本の宝物だ。板金が日本の製造業を支えてきた。これが外国に移っていく。日本の会社の全部は生き残れない。
・それに政治が拍車をかける。自民党のやってきたことをみるとよくそこまで持たせたなと思う。自民党は、問題先送りしてきた。その結果が今表に出てきている。民主党には自民党のような先送りをする能力はない。自民党がやってきた公共事業や中小企業支援で問題を先延ばしをすることはできない。でも先延ばしするより無能なほうがよい。日本経済はもう待ったなしの状態だ。その象徴がJALだ。



・JALは銀行がだましだまし生かせてきた会社だが、民主党があまりにもお粗末だから安直に会社更生法を申請した。JALを見ると日本の企業の問題点がよくわかる。例えば年金の問題。OBには4.5%の利回りが約束されているが、国債利回り1.5%の状況では企業が身を削ってOBを支えていることになる。その一方で、地上職員や整備職員の給与水準は低い。その意味では現場の人も被害者だ。また、更生法申請にあたりDIPファイナンスが必要となるが、米国ではDIPファイナンスには優先権が与えられるので銀行はカネをだすが、日本ではこのような仕組みがない。

・政権政党が民主党になってこういった問題がすべて表に出てきた。政府にこのような問題を先送りする能力がないからだ。でも問題がでてきたことで日本企業が転換点にあることがわかった。どうせいつかは通らなければならない道だからそれはそれでよかった。ただこれを切り抜けるために企業努力だけでは無理だろう。例えば、雇用制度の転換について。雇用制度は大きく分けて3通りある。

第一は、アメリカ型(市場経済型)。
第二は、日独型(企業共同体社会)。この特徴はなかなか従業員のクビを切れないこと。20ヶ月〜30ヶ月分の給与を上乗せしないとやめさせられない。こういう法制がある一方で、政府は何もしてくれない。

第三は、北欧型(社会民主主義型)。スウェーデンやデンマークが典型。これらの国では最低賃金などはない。またいつでもクビにできる。全員が非正規雇用のようなものだ。その代り国や地方政府が徹底的に面倒を見る。
これら3つのなかでどれがよいかは一概には決められない。米国は市場経済型を選択した。共同体型と北欧型についてはどちらにもそれぞれ良さがある。日独型の問題はインサイダーとアウトサイダーが分かれることだ。つまり一旦雇ったら最後までしがみつかれる。その一方で、大卒の未就職率が30%という。インサイダーにとってはいいけれども、アウトサイダーには厳しい社会だ。このような共同体型は衰退から企業を伸ばしていくためには困難が生じる。だから、企業がもう少し自由に労働者を入れ替えることができるような雇用制度が必要だ。政府がこの部分にどうかかわっていくのか、今まさに崖っぷちに立たされている。



第三に挙げた新分野への進出については次のとおり。
・企業が伸びていく分野はあるのか、それに対する政府の関わり方はどうあるべきか。セイの法則によると、マクロでは需要と供給は等しくなるはずだ。現在需要が表に見えてこないのであれば、それは政策が悪い。医療、健康、高齢者、介護、観光、環境、21世紀型都市創造等の分野が考えられる。ただこれら伸ばすためには政府が大胆に関わっていかなければダメだ。
・例えば、環境分野については1990年に世界はCO2削減目標で合意した。これに関しては日本の森林だけで3.8%のCO2削減が可能だ。それならば中国から排出権を購入するよりも、日本で森林整備をやった方がよいことになる。
また、観光については、2000年の外国人観光客は300〜350万人。2年前には800万人。

倍になって今は1割落ちた状態だ。まだまだ観光分野では日本に可能性がある。成田空港には3つの欠点があると言われている。一つは都心から遠いこと。二つ目は国内のハブ空港である羽田と離れていること。三つ目は深夜早朝に飛べないこと。羽田の第二滑走路が使えるように制度が変わると、羽田はものすごい勢いで変わっていく。関西も伊丹、関空、神戸というよりも24時間フル稼働できるのはどこかと考えるべきだ。

  日本の観光産業で熱心な地方は九州だ。九州にアジアの観光客を呼び込むためにタダで10万円の地域振興券を配るという。知恵を絞ると前と違った新しい産業が出てくる可能性がある。

以上3つ挙げたなかで政府に期待するのは第二の雇用制度問題と第三の新規産業分野育成だ。第一の外国進出は企業の姿勢の問題であって政府とは無関係だ。つまり年金と雇用制度、加えて倒産法制。また新しい産業分野の創出。これらをどうやって作っていくか。手っ取り早くやるには増税しかない。


3.日本の財政支出は惨憺たるものだ。医療と研究は先進国中最低レベル。一方我々が払っている税金も最低レベルだ。低い税金負担のなかから子ども手当、ガソリン暫定税率廃止、高校無償化をやるとあと何ができるのか。うまくいくわけがない。50兆円増税してどぶに捨てたら経済は落ち込んでしまう。税を使ったのなら景気が良くなるようにしなければならない。もっともこの点については経済学者の間で意見が割れている。つまり財政支出しても国民は増税を見込んで貯蓄するから景気は変わらないという考え方と国民は目先しか考えないから多少はよくなるという考え方だ。だったら50兆円増税して40兆円使って10兆円を国債償還に回せばよい。

結局のところ日本が豊かになるためには国民が時代にあった増税を受け入れるしかないと考える。日本企業の課題は、外国進出、体質調整、新分野だが、私は楽観的だ。日本の政治はこれ以上悪くならないと考えるからだ。

質疑応答
(問)日本の学生の気力についてどう感じるか。
(答)「坂の上の雲」を見て思うのだが当時は弱小国で強い気概をもった時代だった。これは今の若者にはない。しかし楽しみな人材はいる。例えば外資系に就職して自分の力を試そうとする者。またこれだけ叩かれても役所に行って頑張ろうという者もいる。多様な人材が出てきている。また女性が元気だ。眠った人材を掘り起こしていく必要がある。

(問)所得税の累進性を弱めたことが日本の問題だと考えるが如何。
(答)先進国で所得税の累進性を採る国は少ない。社会民主国では税で所得再配分することはない。例えばスウェーデンの中央所得税は30%フラットだ。これに消費税が加わる。フラットに税を取られるが、弱者は徹底的にサービスを受ける。たとえ障害者であっても所得税を払う。30%払うことによって堂々とサービスを受ける。金持ちから分捕って貧しい人に配るというのは節操がない。所得税をフラットにして徹底した社会保障をするという構造だ。日本の終身雇用制度はそれなりに出世する人にとっては良い制度だった。でもこれではベンチャーが育たない。累進税率だと新しいことをやって稼いでも税金で持っていかれるからやる人がいなくなる。富の再配分を税でやるのではなく社会保障でやるという方向が望ましい。

ところで税については所得に課税するのか資産に課税するのかという大きな問題がある。例えば農家でまじめにやって所得があがると税で持っていかれる。サボっても土地には税がかからない。これでいいのか。また中小企業の息子が事業を承継したときには所得に課税するより資産に課税する方がよいのではないか。こういった難しい問題があるが、国民の間には増税を受け入れる気概がない。痛みを伴う税制改革は社会が痛い目に会わないとできないのかもしれない。政府の借金の額の多さは、ジンバブエ、日本、レバノン、スーダン、イタリア、ジャマイカといった順だが、日本の借金は国民が貯金したカネで銀行が国債を買ってくれているから回っている。でもいつかはほころびが来る。おおかみ少年と言われるがいつかは来る。でも日本はジンバブエとは違う。だから増税を受け入れる気概が出てくることを期待する。

以上





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関西東大会12月例会講演会 参加報告

s40養 寺田雄一

12月例会は、アイルランド文学講座として、京大名誉教授の佐野哲郎先生から、「アイルランドの神話―キリスト教との出会いは何をもたらしたか」と題する講演をいただいた。詳細なレジメと、先生が現地で撮影されたスライドを使って、約30人の出席者に、1時間半の講演をされた後、30分の質疑応答の予定であったが、出席者からの熱心な質問が続出して、予定の時間を10分以上オーバーするほどの盛況であった。

(講演内容)
(1) アイルランド人のルーツは、従来、ケルト又はガリアと呼ばれ、大陸から渡来したとされているが、最近の考古学の成果により、従来の定説は疑問視されるようになった。ただし、この説も定説には至っていない。
(2) アイルランドの宗教は、従来、輪廻転生を唱える、自然信仰的なドルイドが支配的であったが、5世紀頃キリスト教化した。その中心人物がセント・パトリックで、その時期は、神聖な場所とされるタラの丘で、ドルイドの魔法を破ってからで、その後、アイルランドは、12世紀にイギリスの属国となった後も、16世紀の英国国教化にも染まらず、18世紀の大弾圧にも耐えて、頑なにカトリックを守り通し、現在でも、国民の95%がカトリックとなっている。
(3) キリスト教はまた、それまで文字のなかったアイルランドに文字の使用を教え、以後、神話、伝説等を記録した書物が作られるようになった。先生からは、見事な装飾本となっているいくつかの代表的な書物がスライドで紹介された。
(4) 文字を知ったことにより、中世以来、「ケルズの書」レンスター書」「アイルランド侵攻の書」などが書かれ、アイルランドの歴史、神話、地名の由来などを現在に残している。
(5) 佐野先生は、推理小説の祖とされる、E.A.Poe に関心を持ち、そこから、Yatesを
知って、更にアイルランドとその文学に関心を広められた由で、何年か前には、アイルランドにも足を運び、今回の講演で、その時撮影されたスライドを数多く紹介された。




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関西東大会09年8月例会報告(講演:東京大学大学院経済学研究科 伊藤元重教授)

幹事 日笠 賢(昭55経)



下記のとおり8月の例会が開催されましたので、報告いたします。


日時:2009年8月5日(水) 講演18:30〜20:00 懇親会20:00〜21:30
場所:ホテルグランヴィア大阪 20階


講師:伊藤元重教授(東京大学大学院経済学研究科)
演題:「日本経済の現状分析と今後の展望」

【講演内容】
伊藤教授は、現在東京大学の経済学部長であられ、翌日には大学のオープンキャンパスを控えるなど大変ご多忙な中で、今回の講演をしていただきました。

演題は「日本経済の・・・」となっていますが、お話は、先進工業各国のベビーブーマー世代の高齢化と運用資金増加による金余りから説き起こされ、現在起きている技術革新のこと、凄まじい勢いで拡大する中国経済、アジアの中間所得層の増加、企業のM&Aによる規模拡大とグローバル競争の実態など、多岐にわたるお話を展開していただきました。海外でのご見聞や、企業経営者との実際のやり取りに加え、数値をふんだんにちりばめたお話に、会員の皆様も時の経つのを忘れて聞き入っておられました。テレビのコメンテーターや、新聞各紙のコラムをご担当されていることでもわかるとおり、良く記憶に残るキーワードを使って(例えば「アメリカの支配層が、WASPからC+I+Aへ」とか、「最大の新興国としてのアメリカ」など)、切れ味鋭くまた大変判りやすいお話をしていただきました。更に、「麻生首相の言い方が拙くて批判されることになったが、『高齢者の方が若い人よりも仕事能力が高いところがあるのは事実』でこれを生かすべき」とのご発言もあり、教授が日本の政策ブレーンのおひとりであることの一面を垣間見た気がします。国内産業では、今後は工夫次第で、医療健康分野や住宅分野が注目されるようです。世界の最先端におられる経済学者の生きたお話を伺う絶好の機会となり、あらためて為替、金利、株式、商品などの動きに加え、経済の動向を注視して行こうと思いました。

講演の最後に質問や意見交換をする時間を取っていただき、次々に質問が飛び出しました。予定の時間を過ぎるまで、教授から熱っぽくかつ大変丁寧にご回答をしていただきました。会員から是非今後とも関西東大会でご講演をしていただきたいとの要望をお伝えする場面もありました。

講演の中、教授から「怖い話をします。これが一番大事かも知れません。」との前置きの下に、「現在の日本のように政府がGDPの150%を超える借金をして、インフレ無しで問題解決(返済)をした国は歴史上ないのです。」とのお話がありました。

そこでご報告の最後に、関西東大会の会員の皆様へのアドバイスです。
まず、今後の日本を支えていく若手の方々へ。インフレが『ノアの方舟』の大洪水の如く、今の日本の閉塞状況を打破し、次の時代がやってくる可能性があります!

一方、守るべき資産をお持ちの方々へ。今後、くれぐれもインフレにはご注意を!!
  

以上




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関西東大会6月例会報告(中世軍記物講座)

S53経済卒 河野 裕亮

 6月10日(水)中央電気倶楽部にて、山内潤三先生をお招きして「中世軍記物講座」が開催されました。

 井手会長をはじめ、参加者は30名以上。最初に 山内先生のDVD「平家物語」全二巻のうち、第一巻冒頭(映像とも)と武田 圭史 幹事作曲の「平家物語序章」が流れる中、終始和やかに会食と懇談が進みました。
 
そしていよいよ山内先生の講演が始まりました。演題は「平家物語の世界(その1)」です。先生著作「平松家本平家物語の研究」だけでなく、京都大学蔵書の「平松家旧蔵本平家物語」東大国語研究室蔵書の「高野本平家物語」、また、参考として「方丈記」「玉葉」「徒然草」などの配布資料をご用意されるというきめ細やかな配慮をされて、歴史的事実と軍記物語との関連性について時には詳しく丁寧に、また、時には面白おかしくお話され、とても楽しく拝聴することが出来ました。

 治承4年6月の福原遷都から、11月の平安京への遷都 12月の奈良炎上、翌年正月の新院(高倉天皇)崩御、閏2月の平清盛死去という半年の間の目まぐるしい出来事。勿論その間には東国では源頼朝の挙兵や富士川の合戦もありました。この激動の政治状況の中、平家の動き、後白河法皇の動き、貴族達の動きがどうであったか、それが平家物語にどのように書かれているか。

事実はどうだったのか。先生のお話についついひきこまれ、自分がその当時の都の住人であったら、きっと悲観的になって末法思想を信じていただろうと想像してしまいました。

 最後に平清盛は高熱を発して死去したという平家物語の記述は事実で、他の資料にも記述されていること。このことは後世流布されており、江戸時代の川柳でも「清盛の医者は裸で脈をとり」と詠われたというお話で締めくくられ、笑いのうちにあっという間の90分が終了しました。

 「平家物語の世界(その2)」の開催が待ち望まれるお話でした。山内先生はじめ担当幹事の皆様方に感謝いたします。ありがとうございました。


山内潤三講師


講義風景



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関西東大会4月例会(万葉集報告)

 4月の例会は18日(土)中央電気倶楽部にて、山崎馨先生をお招きして「万葉集講座」が開催されました。



 大阪京大クラブ、六稜会(北野高校OB会)の方々も交え、30名以上が集まり、熱心に(中には万葉集を片手に)聴講されていました。
 奈良に育ったものにとって、万葉集はふるさとを感じさせてくれるもので、「市と街路樹」をテーマとした先生のお話には、教えていただくことが多くありました。

 長安城の西の門を何故「金光門」というのか、椿と灰の関係は?、越中の国府は高岡である、など、知的好奇心が広がり、1時間が非常に短く感じました。

 万葉集の時代に自然発生した市が平城京の時には官営の市となり月に半分開かれていたものが、枕草子の頃には月に1回(12日に1回?)の限定開催となったという市の変遷にも興味を惹かれました。

 万葉を代表する歌人の一人である大伴家持が高岡の柳を見て奈良(当時は都会)の女性に思いをいたすというのは、きれいに描いた眉(柳眉)を思い出しているのだよ、というお話には、現在にも通ずるものがあり、一生懸命眉をそって筆をいれる現代女性とラップしているな、というところと地方と都会の中央集権との関係は、奈良時代から変わらないんだな、今は都が東京で、一極集中が進んでいるよな、と想像を膨らませておりました。

 掉尾には、次回講師の山内先生からの6月例会のご紹介もあり、有意義な時間を過ごさせていただきました。

 来年には、遷都1300年祭のイベントも多く開催される平城旧跡で万葉の心に思いを馳せてみたいものです。

S62経済卒 中森 將夫





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相撲部屋・相撲見学・ちゃんこ鍋のご報告

境川部屋訪問記
「あっ! 朝青龍に豪栄道が勝った」

大森 史郎(昭35法)



 三月九日(月)朝、私たち関西東大会々員の八人は、大相撲境川部屋を訪問した。横綱審議委員会委員でもある井手会長が、財団法人日本相撲協会の事務局に常勤する山科親方経由で依頼してくださり、実現したものだ。

案内役の沖野事務局長を先頭にして、京阪電車寝屋川市駅改札から部屋を目指した。部屋には八時半頃に着いた。三月十五日に初日を迎える春場所を数日後に控えていることと、昨今の大相撲界の不祥事を意識してのことか、稽古場のガラス戸の前は、黒山の人だかりだ。色とりどりの幟(のぼり)が何本も立っている。「境川部屋さん江」もある。風向きのせいで裏面からしか見えない。誰かが「境川ちゃんこ、だって」と言った。ちゃんこ鍋を食べるという潜在意識が、そのような錯覚を起こさせたのか。

世話役の沖野さんがやっとのことで戸をあけ稽古監督中の境川親方に挨拶。「横からまわって、座布団の上にどうぞ」との親方の言葉に、私たちは見物席に座った。

 幕下や三段目力士の「申し合い」の最中だ。汗びっしょりの二人が姿勢を低くし、両手をついて立ち上がる。筈に掛っていっぺんに押し出したり、組んで一気に寄ったり、投げを打ったり、組みあっての揉み合いがあったりと、様々なパターンが目を楽しませてくれる。しかし、立ち合いに両手を完全につかなかったり、当たりの角度が高過ぎたり、褌を掴んでも一挙に出ないで止まってしまったりすると、境川親方の厳しい指導の声が響く。日頃、親方や先輩から指導を受け、頭では分かっているのだろうが、相手のある実際の土俵上のこととなるとなかなか実行できないようだ。

 境川部屋の関取である岩木山関と豊響関は、輪の外に立って若手の稽古を見守っている。私は、期待力士である小結・豪栄道関を目で探した。うん、居た。私の予想よりは一寸背が低いが、あの顔だ。でも、何となく眠そうな――

「申し合い」では、勝った力士が次の相手を指名する。その豪栄道関は、いつも名乗りを上げてそばに寄っていくが、なかなか指名されない。相手が関取だから、幕下力士の方で遠慮してるのかな――
 私はそう思っていた。しかしそれは、まったく私の勘違いだった。豪栄道関には誠に申し訳ない。

九時頃に、やや色白のイケメンが現れた。すっきりした顔をしている。背も高い。そうだ、これがお目当ての豪栄道関だ。
 その少し前に、テレビでお馴染みの幕内力士が顔を出した。栃煌山関、栃乃洋関、栃ノ心関だ。交野市に宿舎を置く春日野部屋からの「出稽古」だ。そこへ、朝赤龍関が顔を出した。

 今日は、えらく豪華な顔ぶれの稽古だな――

 私は驚いた。春日野部屋は境川部屋とは同じ出羽一門だし、宿舎がここからは比較的近い交野だから分かる。しかし、朝赤龍関は高砂部屋だ。同門ではないし、宿舎も確か大阪市内だ。そんな遠くからどうして来たんだろう? ああ、そうか。実力のある豪栄道関と稽古がしたい、ということだろう。分かる。あとは私の勘ぐりだが、彼の調子を探りに来たのかも知れないな。もしそうなら、横綱・朝青龍関も来るかも知れんな――

 この後のちゃんこの席での親方の話では、両力士とも既に二、三回来たそうだ。

 九時過ぎに、関取同士の稽古が始まった。豪栄道関と豊響関が向かい合う。幕下以下とは迫力が違う。七人の関取が次々と渡り合う。豪栄道関が、出足鋭く栃ノ心関を寄り切る。面白い。
 そのときだ。「あっ、朝青龍だ!」
 やっぱり、横綱・朝青龍関が現れた。あのお馴染みの顔だ。境川親方や、少し前に来ていた春日野親方に向かって頭を下げる。そのあと、土俵の外で軽く柔軟体操をする。境川親方が、何か声を掛ける。朝青龍関は、親しみやすい表情で傍に行く。穏やかに受け答えをしている。マスコミで報道されている印象とは随分違う。案外素直なキャラクターなんだ、と感じた。

 九時四十五分頃、朝青龍関が土俵に上がった。片や、豪栄道関が上がる。一回仕切り直し。二回目の仕切りで立ち上がる。豪栄道関の出足がない。右四つに組み止められ左上手を引かれ寄られてしまう。次々と他の関取を相手に、横綱は五番、六番くらい立て続けに勝つ。また豪栄道関が上がった。

立った! 鋭い出足だ。右をのぞかせ、左前褌(ひだりまえみつ)を取り、頭を付け、寄った。勝った! そう、この出足がいつもほしいんだ。

「もう一丁!」と横綱が叫んだ。張り差しから、横綱が差し勝った。豪栄道関は、寄られ、土俵際でこらえたとき、首根っこを押さえられ、左上手投げで横転した。十五分くらい連続で、横綱が土俵を独占した。そして、「申し合い」は終了した。

続いて、横綱に対して栃ノ心関が「ぶつかり稽古」。筈に掛って精一杯押す。何回かやった後、土俵中央で左肩を突かれて一回転する受け身の稽古。ぶつかる方とぶつかられる方の顔ぶれが代わって、何回も同じように続く。

 十時十分、一通り終わった。境川部屋の力士たちが土俵の上に集まった。仕上げの運動だ。代わる代わる片足を上げ土俵を踏みしめる「四股」、足の裏を土俵につけたまま左右代わる代わる前進する「すり足」、土俵に座り両足を百八十度開き上体を前に倒す「股割り」などを行った。その後、一人ずつすり足で土俵の徳俵の近くまで進み、見物している来客に向かって声を出す。挨拶なのだろう。その間に、稽古場の隅に立っている太い柱をボコボコ突く「鉄砲」をやっている力士もいる。

 十時半過ぎ。もう一つの楽しみである「ちゃんこ料理」を味わうときが来た。座敷の四ケ所に鍋がセットされ、その周りに座布団が数枚ずつ置かれている。私たちのうち五人は境川親方と同じ鍋を囲んだ。鍋は煮立っている。朝早くからの稽古を済ませた若手力士たちが調理・準備したものだ。

 どんぶりに掬って食べる。味噌味の汁たっぷりの中に、肉やベーコンやキャベツ等の野菜がたっぷり入っている。美味い。鍋の中の野菜が減ってくると、若手力士が生のキャベツや青い野菜を追加する。私は食べるのに夢中になって、何という名前のちゃんこ鍋か訊くのを忘れてしまった。

 傍に控えている若手力士が、どんぶりにビールを注いでくれる。相撲部屋らしい風情があっていい。

 境川親方が言う。

「最初聞いたとき、皆さんは東西会の人たちかと思いました。でも、字を見ると東大会になっているので、どういうことなんだろうと思いました」
「東西会」というのは、大阪の有力者相撲ファンの集まりで、東京では「溜り会」というが、その人たちは本場所では控え力士のすぐ後ろの溜りで見物している。溜りでは飲食は禁じられている。

 親方は、その東西会と混同したというのだ。親方のこの言葉が呼び水となって、ちゃんこを食べながらの話が弾んだ。

 それにしても、この日いくつかの偶然が重なった。私事になるが、少し紙面を頂戴する。

 関西東大会の名簿にもあるように、私の趣味は大相撲観戦と小説執筆だ。一年ほど前、第十四代横綱・境川浪右衛門をモデルにして書いた小説が、その分野では実績のある長崎県の「コスモス文学の会」から長編小説部門でシニア文学新人賞をもらった。

今回、私が相撲部屋訪問を申し込んだときは、何部屋に行くのか決まっていなかった。その後の沖野さんの話でも、境川部屋になるか春日野部屋になるかまだ未定、ということだった。それが、境川部屋に決まったのだ。
そこで、偶然を喜んだ私は、親方や同行の方々に読んでいただこうと、拙稿が載っている冊子『コスモス文学』を持参した。私のペンネームは両国太郎だ。都立両国高校出身ということから付けたのだが、これがまた奇遇。境川親方の現役時代(最高位・小結)の四股名が両国だ。

 さらに驚いたことに、親方は長崎県の出身だというではないか。コスモス文学の会の所在地とはそんなに遠くない、と冊子の住所を見ながらおっしゃる。

 これだけ偶然が重なると、まさに驚きの連続だ。不思議さとビールとに酔っていると、風呂上がりの豪栄道関が、隣の鍋の前に座った。二十二歳、有力な大関候補の一人だ。冊子を手渡しながら私は、不躾に話し掛けた。「この小説の主人公は、この部屋の大先輩です。関取も早く大関になってください。そしてさらに横綱を目指してください。さっき朝青龍関を一気に持っていった、あの出足です」

 プロに向かって発した生意気な言葉にも、豪栄道関は、「ハイッ」と素直に応じてくれた。

 一時間ほどちゃんこを楽しみ、私たちは部屋を後にした。皆、満足そうな顔だった。

 ちゃんこを初めとして、力士たちの態度や相撲部屋の雰囲気などから、一般社会とは違う大相撲の世界のカルチャーに触れたこと、また、激しい稽古を見て、仕事や日常生活への取り組み姿勢について大きな刺激を受けたのではないだろうか。大袈裟に言うと、ワークキャリア、ライフキャリアへの新しい想いを胸にしたのではないか。

 この企画、来年も是非やっていただきたい。いや、今後毎年続けていただきたい。楽しめるし、勉強になるし、とても良い催しです。(終わり)







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